ひとつ理由を思い付くとすれば、プロの蕎麦店と違い、蕎麦粉の原価を気にせずに、贅沢な蕎麦粉を使うからだろうか。安い蕎麦粉よりは、高価な蕎麦粉のほうが、風味に優れていることが多い。しかし、味と値段がいつもイコールであるとは、決して言えない。うまい蕎麦粉を選ぶには、市場で魚を目利きするような、眼力が必要になるのだ。
さて、運良く、うまい蕎麦粉を入手することができて、水まわしも、延しも、切りも、茹でもうまくいき、見た目も清々しい蕎麦が出来上がったとする。ざるに盛った蕎麦を眺める自分の口元に、笑みがこぼれるのがわかる。こんな単純なことで、うれしくなるのだ。趣味とは、ありがたいもの。平坦な日常に、ささやかなメリハリを与えてくれる。
立派な木鉢を買わなくても、金物屋さんで求めた一本の麺棒と、アルミニウムのボウルがあればできる作業だ。まだ試したことのない方は、ぜひ一度、蕎麦打ちを、体験してみていただきたい。大人もわくわくできる「不思議の国」の入り口が、実はこんな近くに隠されていたことに、驚かれるかもしれない。
文・写真/片山虎之介
世界初の蕎麦専門のWebマガジン『蕎麦Web』(http://sobaweb.com/)編集長。蕎麦好きのカメラマンであり、ライター。伝統食文化研究家。著書に『真打ち登場! 霧下蕎麦』『正統の蕎麦屋』『不老長寿の ダッタン蕎麦』(小学館)、『ダッタン蕎麦百科』(柴田書店)、『蕎麦屋の常識・非常識』(朝日新聞出版)などがある。