片倉康雄さんという名人が、蕎麦の歴史に名を残している。蕎麦好きの方なら、だいたいご存知の、『一茶庵』の創業者である。
この片倉さんの味覚の原点ともいえる蕎麦は、「おふくろ」が打ってくれた蕎麦だったという。
片倉さんは著書に、「おふくろ」は、村でも名の通った蕎麦の打ち手で、「毛のように細い蕎麦」を打つのが得意だったと書いている。しかも、蕎麦を切るには不向きな菜っ切り包丁で、その蕎麦を打ったというから、やはり、かなりの名人だったに違いない。
「おふくろ」の打つ蕎麦が大好きで、その美味しさに惹かれて、自分は蕎麦屋になったのだと、片倉さんは述懐している。
昔の蕎麦は美味しいものだと認識している方には、母親、あるいは父親が打ってくれた蕎麦が美味しかったという記憶をお持ちの方が多い。
東京の神楽坂に店を構える『蕎楽亭』主人、長谷川建二さんも、同じように、父親が打ってくれた蕎麦に良い思い出があることを話してくれた。
昔の蕎麦は、旨かった。
その理由としては、いろいろな事が考えられるのだが、ひとつ挙げるならば 「蕎麦を作るのに手を抜かない」ことが、大きな特徴なのではないかと思う。
当たり前といえば、あまりにも当たり前の答えに、「なあんだ」
と思われるかもしれないが、名人と呼ばれる蕎麦職人に尋ねると、美味しい蕎麦を作る秘訣は「手を抜かない」ことだとの答えが、言い方は変わったにしても、まず間違いなく返ってくる。
手を抜かないとは、つまり、妥協しないということだ。材料にも、製粉にも、蕎麦の打ち方にも、決して手を抜かない。この気持ちと行動が、蕎麦の味を決めるのである。
「手を抜かない」
を実践するには、強固な意志と、蕎麦を食べさせたいと思う者への、深い愛が不可欠なのではないかと思う。
片倉さんも、長谷川さんも、蕎麦を打つ母親、父親のそばで、仕事を手伝って、蕎麦を作る様子を見ているが、蕎麦の実のゴミをとる磨きの作業を丁寧にしたり、蕎麦を打つ前の晩には殻を外す作業をして、石臼をゆっくりゆっくり回したりと、まさに昔ながらの手のかかる作り方をしているのだ。
地元の良質な蕎麦を使い、その土地の蕎麦を知り抜いた打ち手が、時間を惜しまず打った蕎麦なら、それは美味しくて当然だということができる。蕎麦本来の持ち味を、きちんと引き出すことができれば、それだけで、生涯、忘れられない味になる。それが蕎麦という食べ物なのだ。
片倉康雄さんは、おふくろの打った蕎麦を、自分は一生かけて再現しようと決意して蕎麦屋になったという。そんな蕎麦に出会えた人は幸せだ。蕎麦とは、そこまで人を魅了するものなのである。
蕎麦好きの方は、ぜひとも、いつかそういう蕎麦を味わっていただきたい。
探せば、まだ、ある。
どこにあるのか。
片山がご紹介する蕎麦職人の中に、そういう蕎麦を打つ人が、何人かいる。
食べる人の好みの問題もあるので、「この人」と特定はしないが、片山の推薦する蕎麦屋をぼちぼちと歩きながら、昔ながらの旨い蕎麦との巡り会いを楽しんでいただけたなら、こんなうれしいことはない。
文・写真/片山虎之介
世界初の蕎麦専門のWebマガジン『蕎麦Web』(http://sobaweb.com/)編集長。蕎麦好きのカメラマンであり、ライター。伝統食文化研究家。著書に『真打ち登場! 霧下蕎麦』『正統の蕎麦屋』『不老長寿の ダッタン蕎麦』(小学館)、『ダッタン蕎麦百科』(柴田書店)、『蕎麦屋の常識・非常識』(朝日新聞出版)などがある。