取材・文/ふじのあやこ
家族との関係を娘目線で振り返る本連載。幼少期、思春期を経て、親に感じていた気持ちを探ります。(~その1~はコチラ)
今回お話を伺ったのは、都内にある企業の人事部で働いている信子さん(仮名・40歳)。大阪府内の出身で、両親との3歳上に兄のいる4人家族。不仲な両親の下で育った信子さんは、母親からの寵愛を受け続けることに10代こそ違和感があったものの、拒むことはせず。母親が進める短大を卒業し、実家から通えるところに就職を決めます。
「就職先は学校に求人が出ていたところで、母親に勧められたところではありません。でも当時は実家から出る考えはまったくありませんでした。大学進学とともに早々に家を出た兄に代わって不仲の両親の間に立たなければという使命感もあったと思いますが、それ以上にただ居心地が良かったんです」
娘から女性になることに嫌悪感を示した母親。友達のような親子関係は初彼で崩れた
職場と実家の往復に、たまに友人たちと出かけるのみの社会人生活が数年経過した時、友人の紹介である男性と出会い、恋愛関係になります。初めての彼氏を祝福してくれると思っていた母親の態度は真逆のものだったとか。
「紹介したというものではなく、彼が車で私の家の前まで迎えに来てくれて見つかったという感じです。それを見た母親はその場は何もなく送り出してくれたものの、その日は用事があるから早く帰って来いと言われたのに、実際に帰ったら何もないんです。そして『車なんて逃げ道がない移動は止めなさい』など、彼を変質者扱い。それに、私に対してもすごく嫌悪感のある様子でしたね……。初めての彼氏については、友達みたいに色々聞かれたりするんだろうなって思っていたから、すごく動揺しました。でも、もしかしたら潔癖で子どもの恋愛話なんて聞きたくない人なんだなって納得はできたんです。
私はそこから母親には聞かれたことだけを答えるようになっていきました。母親から彼の話は出ることはなかったので、合わせていれば不機嫌にならないと思ったからです」
そんな時に、彼の東京転勤が決まり、結婚を前提に信子さんもついて行くことを自分だけの意思で選択します。そのことは両親に黙っていくことにしたと言います。
「彼のことを親に話せなかったのは、また変な空気になるのも嫌だったし、止められたら押し切ることができない可能性があったからです。彼と話し合ってついて行くことにしたけど、私はもうしばらくは婚約もない恋人関係で遠距離でも良かったと思っていました。でも、それを友人たちに相談したら、親を選ぶのはおかしいって言われてしまって。周りからおかしいと言われることを直したいという思いも、東京行きの後押しとなりました」
【コロナ禍で気づいた、いびつな親子関係。次ページに続きます】