取材・文/ふじのあやこ
近いようでどこか遠い、娘と家族との距離感。小さい頃から一緒に過ごす中で、娘たちは親に対してどのような感情を持ち、接していたのか。本連載では娘目線で家族の時間を振り返ってもらい、関係性の変化を探っていきます。
「今は会えないので、連絡は毎日。私が間にいないと会話さえしない両親の関係が不安で仕方ありません」と語るのは、信子さん(仮名・40歳)。彼女は現在、都内にある企業の人事部で働いています。今はリモートでの仕事をメインにしているそうですが、週に1~2度の出勤があり、少し疲れたような声をしていました。
小さい頃から嫁姑バトルと両親の不仲。母親は孤独だった
信子さんは大阪府内の出身で、両親との3歳上に兄のいる4人家族。隣の家には父方の祖母が1人で暮らしており、家ではよく嫁姑バトルが行われていたと言います。
「私が生まれた時には祖父はすでに亡くなっていて、祖母は基本は隣の家で暮らしているのに、学校から帰ったらいつも私たちの家のほうにいました。そして、テレビの音しか聞こえないような会話がまったくない居間に祖母と母親が一緒にいる光景が記憶に残っています。晩御飯も一緒に食べて、お風呂にも入ってから帰っていたんじゃないかな。母親はいつも祖母が帰った後に、私に祖母の文句を言い続けました。それが原因かもしれませんが、私は小さい頃から祖母が苦手で、そこまで仲良くなかったです」
両親の関係はその祖母が原因で昔から不仲だったとか。
「父親は物静かな人で、子どもたちにはそこまで怒ったりはしないんですが、母親に対してはいつもきつい言い方をする人でした。何かを頼む時も『醤油』というように、名詞で言うんです。せめて『醤油を取って』だと思いませんか?当時は仲が悪いな~というぐらいにしか思っていなかったけど、振り返ると完全に母親を下に見ているからこそ出る扱いですよね。私だったら耐えられないと思います。母親はずっと専業主婦で私が高校生に上がった頃からパート勤務を始めてはいたんですが、父からのそんな扱いはずっと続いていました。父親は祖母に嫌味を言われている母親を助けることもしなかったし、逆に母親も父親に相談しているところは一度も見たことがありませんでした」
母親が働き始めた理由には、祖母が亡くなったこともあったそう。そして、仕事以外の時間はすべて信子さんに執着していくようになります。
「祖母が亡くなってからは、あんなに不仲だったのに母親は少し元気がなくなりました。ちょうど同じタイミングで兄が大学進学で家を出たこともあって、ずっと家にいてボーっとする時間が増えてしまって……。仕事は何きっかけで始めたのかは覚えていないんですが、私は当時もう高校生だったのに、私が帰るまでに家にいてあげないといけないと時短勤務にしてもらっていました。母親が家で待っているというのが、当時はすごく重かった。でも他に母親の話し相手もいなかったし、どこか不安定な母親が心配で、強くあたれませんでした。思い返すと、反抗期もなかった気がします」
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