文/池上信次
前回、ブルーノート・レーベルの名盤は日曜日に生まれると紹介しましたが、同じ時期(1956~58年ごろ)、ブルーノートとともにルディ・ヴァン・ゲルダー(RVG)スタジオの常連客だったプレスティッジはどうだったかといいますと……。
まず、プレスティッジのこの時期の「名盤」を見ていきましょう。よく知られるのは、1)ソニー・ロリンズ『サキソフォン・コロッサス』、2)マイルス・デイヴィス『クッキン』『リラクシン』など通称「マラソン・セッション」の4作、3)レッド・ガーランド『グルーヴィー』といったところでしょうか。録音年月日は、1)1956年6月22日 2)1956年5月11日と10月26日 3)1957年8月9日ですが、曜日はいずれも金曜日です。
もう少し見てみましょう。ジョン・コルトレーンのファースト・アルバム『コルトレーン』は1957年5月31日で金曜日。同じくコルトレーンの『ラッシュ・ライフ』は1957年5月31日と8月16日、58年1月10日の3回のセッションからなっているのですが、このいずれも金曜日なのです! このように、プレスティッジの名盤は金曜日に生まれていたのでした。ブルーノートは日曜日、プレスティッジは金曜日というのがRVGスタジオの基本スケジュールだったのは間違いないようです。前回のタイトルも「名盤は日曜日と金曜日に生まれる!」と変えなくてはなりませんね。
なお、この名盤誕生の舞台となったRVGスタジオは、1959年7月にニュージャージー州ハッケンサックから、同州イングルウッドクリフスに新築・移転、さらに広く録音を手がけるようになり、この曜日別ルールもなくなっていったようです。録音日の曜日が演奏にどれくらい影響するのかはわかりませんが、もしかしてこの違いがブルーノートとプレスティッジの違いを作っていた、と妄想してみるのも楽しいかもしれません(ほかの要因の方が格段に大きいでしょうが)。
ただ、録音日の曜日がアルバム制作に密接に関わっている例もあります。ビル・エヴァンスの『サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』は、タイトルのとおり日曜日のライヴ録音です(1961年6月25日)が、これが日曜日なのには、大きな理由があります。当時のニューヨークのジャズ・クラブの出演ローテーションは火曜から日曜で、エヴァンスはその最終日に録音したのです。つまり、5日間リハーサルを重ねて録音に臨んだともいえるわけですね。さらにこの会場であるヴィレッジ・ヴァンガードは、日曜日はサンデイ・マチネー(昼のセット。夕方5時から)もあったことから、通常より多くのテイクを録音することができたのです(昼2セット+夜3セット)。最高の状態でのライヴ・レコーディングを狙っていたということなのでしょう。
録音年はエヴァンスより前になりますが、1957年11月3日、日曜日に録音されたソニー・ロリンズの『ヴィレッジ・ヴァンガードの夜』(ブルーノート)も同じ状況です。ロリンズは2週間出演し、最終日に録音を行ないました。その2週間、ロリンズはクインテット、カルテットなどで演奏を行ない、ベストの編成・メンバーを模索していたといいます。そしてたどりついたのが、サックス・トリオという珍しい編成でした。ただ、プロデューサーは不安で、当日の客席にはピアニストとトランペッターを待機させていたとも伝えられています。しかしロリンズは充分な試行錯誤の末だけあって、それを吹き飛ばす、素晴らしい演奏を残したのでした。最終日の日曜日でなければこの名演は生まれなかったのですね。なお、このアルバムには、1日の録音なのになぜか2組のトリオ・セッションが収録されていますが、これはマチネーから録音し、昼と夜のメンバーが違っていたため。本当は『ヴィレッジ・ヴァンガードの昼と夜』だったのでした。
文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。先般、電子書籍『プレイリスト・ウィズ・ライナーノーツ001/マイルス・デイヴィス絶対名曲20 』(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz/)を上梓した。編集者としては、『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『小川隆夫著/伝説のライヴ・イン・ジャパン』、『村井康司著/あなたの聴き方を変えるジャズ史』(ともにシンコーミュージックエンタテイメント)などを手がける。