文/柿川鮎子

ノーベル文学賞を受賞した川端康成(1899~1972年)は、近現代日本文学の頂点ともいうべき人物ですが、愛犬家文豪としても知られていました。たくさんの犬を自宅で繁殖させてきた経験から、「愛犬家心得」という犬の飼育に関する文章を残しています。川端康成全集(新潮社刊、全35巻)のほか、クラフト・エヴィング商會編集の「犬」というタイトルの中公文庫にも掲載されています。ノーベル文学賞の文豪が考えた「犬の愛し方」について、紹介しましょう。

川端康成の愛犬家心得ほか、志賀直哉、幸田文などの短編や随筆が収められた「犬」(クラフト・エヴィング商會編集、中公文庫刊)

川端康成の愛犬家心得ほか、志賀直哉、幸田文などの短編や随筆が収められた「犬」(クラフト・エヴィング商會編集、中公文庫刊)

■いかに犬を愛するか

川端康成の愛犬家ぶりは、作家仲間の間でも有名でした。作家の宇野千代(1897~1996年)や坂口安吾(1906~1955年)ほか、編集者などたくさんの友人・知人が川端から犬を譲り受けています。生涯を通じて、何十頭もの犬を飼育した愛犬家の川端康成は、「犬に人間の模型を求めず、大自然の命の現れとして愛する」べきであると主張しています。「大自然の命の現れ」という言葉が実に巧みです。

曲芸師の子どもが童心を失っているように、あまり犬芝居めくしつけ方も、私は好ましいと思わぬ。また鵜の眼鷹の眼で、犬の心理を観察するにもあたらぬ。ただ、雲や水を眺め、草花を賞(め)でるのと同じやうに、犬を通じて自然の心に入るのが、なによりであろう(「犬」クラフト・エヴィング商會編集、中公文庫刊、川端康成著・愛犬家心得から抜粋、以下同)

たくさんの犬を飼育してきた川端だからこそ、犬に人間らしさを求めるのではなく、犬は犬として純粋に受け入れるという、独自の思想が誕生したのでしょう。人は犬を通じて、自然の素晴らしさ、雄大さ、命の大切さなど、忘れがちな大切な感覚を取り戻すことができると考えました。

ほかにも、“愛する犬のうちに人間を見出すべきではなく、愛する犬のうちに犬を見出すべきである”と述べていて、川端康成は犬そのものを純粋に受け入れ、尊重すべきだと主張しています。

■犬の鋭敏さに親しむ

すべて動物の心といふものは、人間が頭から馬鹿にしてかかっているよりも、遥かに微妙で鋭敏なものである。犬も家族の一員のつもりで、犬の微妙な鋭敏さに親しむことは、愛犬家心得の一つである(同)

現在では犬の高い能力に対する研究が進んでいますが、大正から昭和にかけては、一部の猟犬を除いて、犬は番犬としての役割りしかなく、犬そのものの価値は低く見られていた時代でした。そんな中で、犬の鋭敏さをきちんと見抜き、犬の心について言及している、稀有で偉大な愛犬家でもありました。

随筆「わが犬の記」でも、犬は人間よりも複雑で豊かな感情や、機敏な心の動きがあると、しつこく書きました。川端が犬の機敏な感情を知るようになったエピソードがあります。

■犬の気持ちになって悲しんだ文豪

川端康成は純血種を好み、ドイツ原産種を手に入れます。ある時、その犬が欲しいと神田駿河台に住む知人に頼まれて、譲渡しました。半年後、その人から犬との相性が合わないので、やっぱり引き取ってもらえないかと相談されます。怒った川端が返事を保留していたところ、その犬が上野の川端の家の近所で発見されたのです。

川端は最初、要らなくなった犬を黙って返しに来たと思い、無礼千万と怒りますが、そうではなく、犬が譲渡先の家から脱出して戻ってきたのでした。

自分が新しい飼い主の家で愛情を得られなかったと感じた犬は、駿河台下から上野の川端の元へと、そっと帰ってきました。哀れに思った川端はしばらく保護しますが、犬は忽然と姿を消し、ふたたび新しい飼い主の家に帰ります。新しい飼い主からの愛情が足りないと感じた犬が起こした、哀れな家出事件に、川端は心を打たれます。

川端自身、祖父に育てられ、寂しい幼少時代を過ごしたせいか、愛情に対する感覚は人一倍鋭く、敏感でした。譲渡先で愛情を得られなかった犬の心を思いやり、悲しみます。とはいえ、いったん手放した後では、川端家の環境も変化しています。「犬のわびしげな感情がまじっているだけに、哀れであった」と深く反省しています。

川端康成はこうした体験から、犬には人よりも複雑で豊かな感情をもっていると考えました。だからこそ、人は犬を擬人化せず、犬は犬として愛すべきだ、と強く説いたのです。

川端康成はセッターやシェパード、フォックステリアなどたくさんの純血種を飼育していた

川端康成はセッターやシェパード、フォックステリアなどたくさんの純血種を飼育していた

■はやくから予防医療に注目

犬の飼い主に対する、具体的な飼育のアドバイスでは、“病気の治療法を学ぶよりも、犬の病気を予知することを覚えるのが、愛犬家心得の一つである”としています。病気になってからの対処よりも、病気を早期発見したり、予防する方が大切だというのは理にかなった考え方です。

また、犬の訓練所や動物病院では、質の高いサービスが提供されるかどうか、飼い主がきちんと判断した上で利用すべきだと指導しています。

川端康成の死後、今年で48年。コンパニオンドッグという考え方が一般的となり、犬と人との絆が科学で証明される時代になりました。犬を擬人化して支配するのではなく、犬を犬として愛そうという、川端独自の愛犬家思想は、現在でも新鮮で、不思議な魅力に満ちています。

文/柿川鮎子
明治大学政経学部卒、新聞社を経てフリー。東京都動物愛護推進委員、東京都動物園ボランティア、愛玩動物飼養管理士1級。著書に『動物病院119番』(文春新書)、『犬の名医さん100人』(小学館ムック)、『極楽お不妊物語』(河出書房新社)ほか。

 

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