文・絵/牧野良幸
梅宮辰夫さんが昨年の暮れに亡くなった。享年81歳だった。ご冥福をお祈りすると同時に、今回は梅宮辰夫さんが出演した映画『仁義なき戦い』を取り上げてみたい。
梅宮辰夫さんは1958年(昭和33年)に東映ニューフェースとして入社。その後は東映のアクション映画や任侠映画で活躍。「不良番長シリーズ」などの代表作も生まれた。
近年の梅宮辰夫さんというと銀幕のスクリーン以外でも、テレビのバラエティ番組などで活躍していたので、お茶の間でも親しまれていた人だった。東映の映画は子どもの頃の「東映まんがまつり」くらいで任侠映画はほとんど観なかった僕も、梅宮辰夫さんの軽妙なトーク、独特のキャラクターには親しみを覚えたものだ。
東映映画に馴染みのなかった僕であるが、さすがに1973年公開の映画『仁義なき戦い』は知っている。深作欣二監督による大ヒット映画だ。その後もシリーズ化されたとおり、国民的大ヒットとなった映画だ。
『仁義なき戦い』は終戦から1年後の広島の呉市が舞台。進駐軍が統治する中、焼け跡や闇市は一種の無法地帯となっていた。映画はそこで勢力を張る山守組と土居組というヤクザの抗争を描いていく。
戦争から引き上げてきた主人公の広能(菅原文太)は、闇市で狙撃事件を起こし留置場に入れられる。
その留置場で、広能と兄弟の契りを結んだのが若杉(梅宮辰夫)だった。若杉は広能の手を借りて一芝居打ち、まんまと留置場から出る。釈放された若杉は広能の保釈金を工面してやり、広能を出所させた。
出所した広能は山守組に迎え入れられるが、若杉は土居組の若頭だ。その後、土居組は地元の政治家と結託し、山守組と対立することになるので、若杉は広能や山守組にとっては敵側になる。
しかし敵も味方もなく義侠に生きるのが若杉という男だ。土居組の若頭でありながら、敵対する山守組のことを案じてやる。土居組が山守組の親分の命を狙いに来た時も、
「おやっさん、ワシの目の黒いうちはやらしまへんで!」
と身を挺して阻止する。
若杉は土居組を破門され、山守組の客人となった。
しかしこの映画には敵も味方もない。まさに“仁義なき群像劇”が繰り広げられる映画なのだ。若杉に感謝し、ついていくのは「アニキ」と慕う広能ばかりで、山守組の親分は調子のいい事を言っているだけ。
親分だけでなく若手の幹部も優柔不断だ。若杉が土居組への殴り込みをぶち上げた時も、
「わしゃ、ここんとこ身体の調子が悪うて、行っても働けるかどうかじゃのう……」
と逃げ腰の者もいれば、
「わしゃ、死ぬいうて問題じゃないが、女房がのう、腹に子がおうて……」
と泣き出す者もいる。そんな者にも、
「わかった、わかった。こんな行かんでええ。はよ帰って、女房の寝息おったれ」
と若杉は言ってやるのだが、このセリフの温かいこと。若き梅宮辰夫は肌艶がよく、また優しい顔立ちなところもあるので、人情味のあるセリフが似合う。血で血を洗うシーンが続く映画の中で数少ない心温まる場面である。
その若杉も、自分が守ってやった山守組の親分の密告により警察に追われ射殺されてしまう。映画はこの後も山守組の発展と内部抗争を描いていくのであるが、若杉の死が前半のクライマックスと言っていいだろう。
若杉は人情に厚くスジを通した生き方をした。いい女にも愛されて最後までカッコいい男であった。
この若杉の姿がそのまま梅宮辰夫への信望につながるのは自然なことで、生前、梅宮辰夫が「辰にい」と慕われてきたのも分かる。実際、梅宮辰夫みたいな人が先輩や上司でいたら、誰でも慕ってしまうのではないか。
包容力にあふれたあの笑顔がもう見られないのは寂しい。あらためて梅宮辰夫さんのご冥福をお祈りします。
【今日の面白すぎる日本映画】
『仁義なき戦い』
製作年:1973年
配給:東映
カラー/99分
キャスト/梅宮辰夫、菅原文太、松方弘樹、渡瀬恒彦、田中邦衛、金子信雄、ほか
スタッフ/原作:飯干晃一 監督:深作欣二 脚本:笠原和夫 音楽:津島利章
文・絵/牧野良幸
1958年 愛知県岡崎市生まれ。イラストレーター、版画家。音楽や映画のイラストエッセイも手がける。著書に『僕の音盤青春記』『オーディオ小僧のいい音おかわり』(音楽出版社)などがある。ホームページ http://mackie.jp