文/池上信次
第18回なぜジャズのアルバムには同じ曲が何曲も入っているのか?~「別テイク」の正しい聴き方(1)
ジャズのアルバム、特にCDには同じ曲に「別テイク」とか「テイク2」などの名称が付加されて、いくつも収録されていることがよくあります。これは水増しのためのオマケなのか? いいえ、まったく違います。じつはこの「別テイク」にはジャズという音楽の特徴が端的に表れているのです。
なぜ同じ曲の演奏を複数ヴァージョン入れるのか? まずレコーディングの「テイク」というのは、演奏の回数、演奏した順番のこと。ある曲を録音するとき、最初に録音した演奏が「テイク1」で、その後同じ曲をもう一度録音したものが「テイク2」と続きます。一度の演奏でOKとなれば、「テイク1」でその曲の収録は終了となりますが、多くの場合はテイク2、テイク3と演奏を行なって、そこから一番よいものを選び、アルバムに収録となります。その採用テイクは「マスター・テイク」と呼ばれます。モダン・ジャズの時代には、バンド全員が一緒に演奏するのが普通ですから、メンバーのひとりでも失敗すれば録音し直しということになり、「テイク1」で終わらせるのはなかなか難しいことになります。場合によっては、全10テイク録音し、うち8テイクは不完全演奏といったこともあったりするわけですね(その非効率を回避し、よりよい音源をつくるための「編集」という技術もありますが、それについては別に取り上げます)。
さて、「別テイク(英語ではAlternate Take)」ですが、この「別」というのはマスター・テイクに対してのこと。マスター・テイクを収録した上で、追加収録したトラックです。ミュージシャンやプロデューサーがいちばんよい演奏であると判断したのがマスター・テイクですから、別テイクは、ボツにした演奏、またあまり価値のないオマケ的に考える方もいるかもしれませんが(そういうものもないわけではありませんが)、わざわざ収録しているのですから、その意味はちゃんと聴き取っていきたいところです。
アルバムに別テイクを収録するという事例は、アルバム、つまりLPレコードが登場した最初のころからあります。最初期のLPアルバムは新規録音音源の収録だけでなく、それ以前に出ていたSPレコードの音源を収録したものが多数作られました。新規メディアへの移し替えですね。正確にはSP→10インチLP→12インチLPの順になりますが、とくに12インチLPは当時の最長時間収録メディアということもあって、SP、10インチLPでは発表していなかった別テイクも、レーベル、作品によっては積極的に収録しました。
たとえばブルーノート・レーベルの、バド・パウエル(ピアノ)の12インチLPアルバム『ジ・アメイジング・バド・パウエル vol.1』には、SP、10インチLPでの発表が1テイクだけだった「ウン・ポコ・ロコ」という曲が、アルバム冒頭に3テイク連続収録されています。また、ヴァーヴ・レーベルのチャーリー・パーカー(アルト・サックス)の12インチLPアルバム『ナウズ・ザ・タイム』には「チ・チ」という曲が3テイク収録されています(現在のCDには4テイク)。同じ曲を3回も入れている理由はどちらも同じで、全部アドリブ・ソロが違うから。ジャズですからアドリブが違うのは当たり前ですが、このふたりは「アドリブ命」であるビ・バップの代表的ミュージシャン。並のミュージシャンならマスター・テイクひとつで充分なのでしょうが、彼らの演奏は、全部がマスター・テイク級なのですね。つまり、3テイクどれもすごいから全部聴いてほしいということなのです。ポップスのように「曲」を聴かせるのであればあり得ないことですが、ジャズはここが聴かせどころなのです。だからそれまで収録されなかったのは、ボツにしたのではなく、時間的に入れられなかったということなのです。ここにはこの時代のミュージシャン、プロデューサーのジャズに対する考え方が象徴的に表れているといえましょう。
「マスター」も「別テイク」も関係なく、演奏する行為そのものに意味がある
それがもっとも顕著なのが、チャーリー・パーカーの12インチLPアルバム『オルタネイト・マスターズ vol.2』(ダイアル)に収録されている「ザ・フェイマス・アルト・ブレイク」というトラックでしょう。これは、「曲」ではなく、「チュニジアの夜」という曲の「テイク1」の「一部分」です。「チュニジアの夜」のテーマのあとのリフから、ブレイク(バックが休んで、ソロイストひとりがアドリブをとる)経てソロが終わるまでの50秒ほどを切り出したものです。聴かせたかったのは、明らかにその中のブレイク4小節の10秒だけ。演奏全体はマスター・テイクにはならなかったものの、イマジネーション溢れるこのブレイクがあまりに素晴らしいため、そこだけを1トラックにしたのです。もうバンド・メンバーの演奏には価値がないと言わんばかりですね。じつはこのアルバムは別テイクばかりを集めたもの。タイトルは「別のマスター」ですから、もうすべてがマスター・テイクということで、ダイアル・レーベルのプロデューサー、ロス・ラッセルはとにかく「パーカーはすべて聴け」という主張なのです。
その後、ダイアルはパーカーのすべての演奏をLP化しましたが、現在ではダイアル以外のレーベルも含めパーカーのスタジオ録音音源は、不完全テイクや断片も含めてすべてCD化されています。もちろんパーカーは例外中の例外ですが、こうなるともう「マスター」も「別テイク」もないようなもので、曲を演奏するのではなく、演奏する行為そのものに意味があるというジャズの一面がはっきりと見えてきます。
さて、別テイクはこれらのような「ソロ違い」ヴァージョンだけではありません。「アレンジ違い」「メンバー違い」などさまざまなヴァージョンが存在します(もちろんそれらも当然ソロ違いではありますけど)。次回はそれらを紹介していく予定ですが、別テイクについて考えることとは、逆にいえば「マスター・テイク」を決める基準はなにかという、ミュージシャンの価値観について考えることに繋がります。別テイクはオマケではありません。ここにこそ、ジャズの面白さが潜んでいるのです。
文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。近年携わった雑誌・書籍は、『後藤雅洋監修/隔週刊CDつきマガジン「ジャズ100年」シリーズ』(小学館)、『村井康司著/あなたの聴き方を変えるジャズ史』、『小川隆夫著/ジャズ超名盤研究2』(ともにシンコーミュージックエンタテイメント)、『チャーリー・パーカー〜モダン・ジャズの創造主』(河出書房新社ムック)など。