取材・文/ふじのあやこ
家族との関係を娘目線で振り返る本連載。幼少期、思春期を経て、親に感じていた気持ちを探ります。~その1~はコチラ
今回お話を伺ったのは、地域にとらわれず資格を生かしてフリーランスでさまざまな仕事を請け負っている正美さん(仮名・43歳)。島根県出身で、両親との3人家族。小さい頃から学校でトップの成績を収めるほど優秀だった正美さんは市外の進学校を受験。合格とともに家族で引越しをするなど、両親は正美さんの勉学のバックアップをとことん行ってくれていました。
「市外の高校に進学が決まったのと同時に家族ごと高校の近くに引っ越しをしました。先生もビックリしていましたけど、私にとっては普通。当時の私は反抗期こそないものの、両親にはわがまま放題。両親、祖父母ともに誰からも厳しく躾けられたこともなかったので、家ではまさにプリンセスみたいな状態でした。世間が一人っ子に持っているイメージそのままの生活をしていましたね」
国立大学へ進学後は一切実家に戻らずに東京へ。親からは一度も反対されたことはなかった
高校ではやや落ちこぼれてしまったものの、国立大学にストレートで合格。見事に親の期待にこたえ続けたそうです。
「高校は成績が上位の人は東大や京大など一流大学を目指せるような学校で、私は落ちこぼれてしまったんですが、一応国立大学に合格することができました。そこは決して行きたい学校ではなかったんですが、大学進学は両親の希望で、落ちたら浪人してさらに上の学校を目指せと言われていたので、受かるために必死でしたね。国立を選んだ理由は、私立はお金がかかると思ったから。別に家は貧しいこともなかったけど、少しは遠慮する気持ちが私にも残っていたんですかね(苦笑)」
大学時代に正美さんは一度も実家に帰ることはなかったそう。代わりに両親が様子をよく見に来てくれたと言います。正美さんはそのまま戻ることなく東京へ。さらには香港に興味を持ち、短期留学を繰り返し、その間に日本語教師の資格を取ったと言います。
「大学では一度も実家に帰っていませんね。お盆もお正月も。その代わりと言ったら変ですが、両親が私の大学がある広島まで車でよく様子を見に来てくれていました。一人暮らしの家にあまりいないものだから、バイト先に来ることもありましたよ。
大学を広島で4年過ごした後は東京に行きたいと思って就職活動をするんですがうまくいかず……。でも上京したい気持ちがあったので、結局東京でフリーターを1年半くらいしていました。その間にたまたま見た映画で香港に憧れを持ってしまって、最初に1か月、その後半年間学生ビザで留学をしました。そしてその後2年間は東京でアルバイトをしたり、地方へリゾートバイトをしている間に日本語教師の勉強をして資格を取得。その資格を生かして、中国の田舎で教師をしていました。勤め先は空き時間に中国語を無料で教えてくれるところだったので、中国語もその時にマスターした感じです」
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