蕎麦というものは、面白い食べ物で、子供のころに食べた蕎麦の味の評価は、大きく分かれる傾向がある。
「子供のころは、蕎麦なんて大嫌いでした」という人もいれば、「母親が打ってくれた蕎麦の美味しさが忘れられません」と懐かしむ人もいる。
子供のころ、蕎麦をおいしくないと思っていた人が、大人になってから、蕎麦を大好きになることも少なくない。
その理由は様々だが、子供のころに食べた蕎麦が、たまたま美味しくない蕎麦にあたってしまったということは、多いにあり得る。蕎麦は作る人により大きく食味が変わる食べ物で、そこが蕎麦の楽しさのひとつでもある。
さて、読者の皆さんは、ご自分の故郷の郷土蕎麦がどのようなものであるのかご存知だろうか。また、それを美味しいと思って召し上がったことがあるだろうか。
間もなく訪れる年越し蕎麦の日には、久しぶりに故郷の郷土蕎麦を味わってみてはいかがだろう。あらためて、自分が生まれた土地の魅力を見直すきっかけになるかもしれない。
ここに紹介するのは、新潟県魚沼地方の郷土蕎麦「へぎ蕎麦」だ。
お好きな方も多いと思うが、驚くばかりに滑らかな食感を持つ、独特な郷土蕎麦である。この蕎麦を食べ慣れて育った方は、東京などの普通の蕎麦を食べると「これは私の知っている蕎麦ではない」と驚くらしい。
日本各地に様々な郷土蕎麦がある。それぞれの地域で長年にわたり、その土地の蕎麦を最も美味しく食べる方法を工夫して、定着したのが郷土蕎麦だ。東京の蕎麦好きの方が、地方の個性的な郷土蕎麦を食べて「これは蕎麦ではない」と言ったという話は、時々、耳にする。
しかし、それも間違いなく蕎麦なのである。というより、地方の蕎麦こそ日本蕎麦の源流であり、本来の蕎麦の姿であるということができるかもしれない。
新潟県魚沼地方の「へぎ蕎麦」は、海藻の「布海苔」(ふのり)を蕎麦のつなぎとして利用している。魚沼地方一帯は、古くから小千谷縮(おぢやちぢみ)など、織物が特産品であった。その織物に糊付けするときに使ったのが、海藻の布海苔だ。多くの民家が織物を副業としていたため、布海苔が各家にあった。それがいつしか、蕎麦のつなぎとして利用されるようになったのだと言われている。
新潟市内にある『越後へぎそば処 粋や』では、伝統のへぎ蕎麦をベースにして、現代の人々の嗜好に合うように工夫した蕎麦を作る。つなぎの布海苔の量を少なくして、普通の蕎麦に近づいた食感に仕上げているのだ。
そして、この店では、視覚的にも魅力的なものにしようと、麺の中にポツポツと布海苔の欠片が見えるように作っている。
通常の「へぎ蕎麦」は、製造過程で布海苔を煮溶かしてしまうため、一見しただけでは海藻が入っていることがわからない。一方、『越後へぎそば処 粋や』では、普通の蕎麦でいう「ホシ」が入ったような状態で、布海苔が麺の中にポツポツと点在している。
味と見栄えを良くするため、主人の高橋清志さんは大変な手間をかける。蕎麦の生地の中から、大きすぎる布海苔を手作業で掘り出すのだ。この作業には普通に蕎麦を作る何倍もの時間を要するため、一日に作ることのできる量も限られてくる。
食せば、美しい翡翠色の麺の、つるりとした滑らかな食感に感嘆する。
そして、子供のころ「へぎ蕎麦」を食べて育った方には、懐かしい故郷の風景が思い出されることだろう。
■越後へぎそば処 粋や
住所/新潟県新潟市中央区上近江4-12-20 DeKKY401 1F
電話/025-282-7288
営業時間/11:00~16:00 17:00~20:30
定休日/無休
http://www.ikiya2013.com/
文・写真/片山虎之介
世界初の蕎麦専門のWebマガジン『蕎麦Web』(http://sobaweb.com/)編集長。蕎麦好きのカメラマンであり、ライター。伝統食文化研究家。著書に『真打ち登場! 霧下蕎麦』『正統の蕎麦屋』『不老長寿の ダッタン蕎麦』(小学館)、『ダッタン蕎麦百科』(柴田書店)、『蕎麦屋の常識・非常識』(朝日新聞出版)などがある。