文/印南敦史
本、レコード、CD、DVD、オーディオ機器、服、帽子、靴、万年筆、自動車、自転車……と書き出したらきりがないが、とかく男は「物」に執着してしまうものである。
探していた物を見つけたら、「これを逃したら手に入らないかもしれない」という焦燥感からつい買ってしまう。初めて見た物に心を奪われても、「これは出会いだ」と確信して買ってしまう。
そんなことを続けていれば、部屋が物であふれてしまっても当然である。しかし、増えすぎた物の山を前にして、いいようのない虚しさを感じることもあるのではないだろうか。
『[禅的]持たない生き方』(金嶽 宗信著、ディスカヴァー・トゥエンティワン)の著者も、物であふれた生活の不便さを指摘している。
実は人間、物がないほうが、心豊かに過ごせます。
そう言う意味では、現代人は物質的に豊かで自由もありますが、心は逆にどんどん貧しくなっているのではないでしょうか。
私は、まずこのような問題提起をしたいと思います。(本書「はじめに」より引用)
12歳で仏門の道に入り、10年間の小僧生活、10年間の大徳寺僧堂での雲水修行を経て、東京・渋谷区広尾の臨済宗大徳寺派香林院住職となったという人物。厳しい修行を経験してきたからこそ、断言できることがあるという。
いくつかのルールや制約のなかで生きたほうが、人は生きやすいということだ。
そもそも、禅宗自体が「規矩(きく)」と呼ばれる規則を前提としているもの。集団生活や、社会で人と関わりながら生きるには、枠組みがあったほうがいいということである。
逆に贅沢するというのは、自分の欲望を野放しにしているようなもの。たとえばお金があると、たくさんのものが欲しくなり、物を買えば、そこに執着が生まれることだろう。
そして、そのひとつひとつの物に対して執着が生まれると、心を乱す原因が増える。ならば、はじめから物がないほうが楽だし、心も乱れないという考え方だ。
とはいえ現実的に、せっかく集めた物を捨てるのは楽なことではない。だとすれば、捨てるためにはどうすればいいのか?
第二章「いさぎよく『捨てる』」内の「いさぎよく『捨てる』ための三つの心得」を見てみよう。
1.「所有とは、すなわち執着である」
物をひとつ持つと、そこには執着が生まれるという。なぜなら、物を「持ちたい」ということ自体が執着なのに、物を持ってしまうと、「所有」することで生まれる執着までもがついてくるから。だとすれば、物を持っていない人のほうが、執着は減るということになる。
そして物を持つことがいけないもうひとつの理由は、持っているものに付随して、次から次へといろいろな執着が発生していくこと。
たとえば携帯電話やパソコンなど、新しい機種が出るたびに買い換える人がいるが、それも執着が原因だというわけだ。しかし、よくよく考えてみると、行きていくうえで本当に必要な新しい機能など、それほどあるわけではない。
禅では、物を所有することを欲する人は、仏道の修行をしていない人とみなします。修行をして執着を捨てることができれば、身の回りのものも、本当に最低限必要なものだけになるのです。
だから、禅のキーワードとして、「枯淡(こたん)」や「赤貧(せきひん)」という言葉が出てくるのです。(本書58ページより引用)
2.「物がある」のが当たり前だと思わない
ものに溢れる生活を送っていると、それがあるということが当たり前になってしまうもの。そこで、まずは自分が「あって当たり前」だと思っているものを、ひとつひとつ見なおしてみるべきだと著者は主張する。
それが、禅的「持たない生き方」の第一歩になるというのだ。
私の好きな言葉に、「家貧しくて道富む」があります。この「道」は「どう」と読み、生きていく道、生き様みたいなものをさします。
これは、宋の時代に中国で書かれた、「嘉泰普灯録(かたいふとうろく)」という禅の歴史について書かれている書物に出てくる言葉です。
お金持ちや、物をたくさん持っている人は、物欲で目がくらみ、道を踏み外すことが多いもの。一方、貧しい人は、余計なものを求めず、欲におぼれることがないので、真実の道を歩いていくことができるという意味です。
つねに心に留めておきたい言葉の一つです。(本書60〜61ページより)
3. 持たない工夫を楽しむ
これは、「物がなければなにかで代用しようと考える、その工夫を楽しむ」という意味。逆にいえば、物が豊かになればなるほど、人間は自分の頭で考えないようになってしまうということだ。
お寺の修行では、「やったことがないからできない」というのは理由になりません。自分の今までの知恵や工夫を総動員して、まずはやってみることが求められます。
もちろん、それで失敗することもあります。でも、失敗してみることも大切なのです。失敗があるからこそ、工夫も生まれてきます。(本書64ページより)
そこで、「100円ショップで便利グッズを買わない」「一週間を5000円で過ごしてみる」といったことをゲーム感覚で試してみるといいという。すると、なくても困らないものが見つかったり、「これは別の用途に使える」といった工夫ができるようになるわけである。
物をひとつ持つごとに、どんどん自由が縛られていくものだと著者は主張している、物を持つことは、裏を返せば、心の貧しさを表しているようなものだというのだ。
それに気づくことができれば、これ以上物を増やしたり、不要なものを買ったりはしなくなるという考え方には、たしかに説得力がある。
『[禅的]持たない生き方』
J・金嶽宗信/著
ディスカヴァー・トゥエンティワン
2018年12月発売
文/印南敦史
作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。音楽雑誌の編集長を経て独立。複数のウェブ媒体で書評欄を担当。著書に『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)、『プロ書評家が教える 伝わる文章を書く技術』(KADOKAWA)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』などがある。新刊は『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)。