取材・文/鈴木拓也
和菓子の中でも庶民的なイメージのある串団子。古代から作られていた団子だが、食べやすいよう串を通すようになったのは室町時代の頃だという。江戸時代に入ると、町中の屋台から峠の茶屋まで、あらゆるところで出されるようになった。そして、串団子を看板商品に掲げる老舗は、今なお各地に点在する――もちろん東京にも。
今回の記事では、串団子で知られる都内の老舗を3店紹介したい。
築地「茂助だんご」
創業は明治31年。当初は日本橋の屋台で売られていたという。初代当主の福田茂助は、店に来た客に「お茶でも」と言いつつ、湯飲みに入った酒をふるまったという逸話を持つ、ユーモアの分かる人であった。
関東大震災で壊滅的な打撃を受けるまでは日本橋が東京随一の魚市場で、「茂助のだんご」は魚河岸の人たちの手土産として親しまれた。魚市の拠点が築地に移ると、店もそこへ移転し、築地名物の1つとして人気を博す(現在は築地本店のほか、築地場外市場商店街にも店を構える)。
「茂助だんご」の作る串団子は、醤油、つぶ餡、こし餡の3つの味があり、午前中だけで約3千本売れるという。
店の人に話をうかがうと、なんと1999年のヒットソング『だんご三兄弟』のモデルだとか。そう言われて、こんもりと餡のかぶった3つ刺し(関東は4つ刺しが主)の餡だんごを改めて見ると、あのメロディが頭の中でよみがえって、なつかしい気持ちになる。味も抜群なので、築地を訪れたときには立ち寄ってほしい。
【茂助だんご(築地本店)】
住所:中央区築地5-2-1(「築地市場」の場)
電話:03-3541-8730
営業時間:5:00~13:00(喫茶は~11:30)
定休日:日曜、祝日、休市日
公式サイト:https://www.mosukedango.com
東日暮里「羽二重団子」
主力商品が屋号でもある「羽二重団子」の創業は、文政2年(1819)。当初は「藤の木茶屋」と称した。この店で供される団子が、「きめ細かく羽二重のよう」と評判高かったことが、団子の名称の由来だという。
明治・大正時代になると、「芋坂」(現在の日暮里駅そば)にある団子の名店として多くの文士に愛され、しばしば作品の中に登場するようになった。例えば、夏目漱石の「吾輩は猫である」の一文には、「主人は芋坂の団子を喰って帰って来て相変らず書斎に引き籠こもっている」とあり、正岡子規が死の床で記した「仰臥漫録」には、間食に「芋坂團子を買来らしむ」などとしたためている。そのほか、泉鏡花、田山花袋、司馬遼太郎ら、そうそうたる文筆家に書かれ、愛された。
そばに正岡子規の句碑のある「羽二重団子」本店は、2019年まで全面改装中だが、日暮里駅構内の販売店と、駅近くの和カフェ「HABUTAE1819」にて、伝統の串団子を買うことができる。種類は、餡団子と焼き団子(生醤油)の2つ。意外にも歯ごたえが結構あり、甘さ控えめで大人向きのおいしさ。
【羽二重団子(HABUTAE1819)】
住所:荒川区東日暮里6-60-6
電話:03-5850-3451
営業時間:10:00~18:00
定休日:年末年始
公式サイト:https://www.habutae.jp
※本店は2019年まで改装中により休業
柴又「髙木屋老舗」
柴又駅から帝釈天(題経寺)に向かう参道は、古建築の店が軒をつらね、昼間は常に観光客でにぎわっている。その参道沿いに向かい合わせに立つ2軒の老舗として、ひときわ目立つのが「髙木屋老舗」だ。
店舗の片方は喫茶店で、俳優渥美清さんから頂いたという「のれん」など、『男はつらいよ』にゆかりある品々や写真が飾られている。これは、『男はつらいよ』の撮影中に、俳優たちに休憩・衣装替えのため部屋を貸したことから、生まれた縁。そのため、『寅さんせんべい』というキャラ商品もあるが、主力はやはり団子。まず葛飾の名物である草だんごがあり、そしてお団子セットがある。お団子セットは、焼だんご、磯おとめ、餡だんごが1本ずつで、持ち帰りも可能だが、できればその場で食べて、できたての柔らかさを堪能したい。
【髙木屋老舗】
住所:葛飾区柴又7-7-4
電話:03-3657-3136
営業時間:7:00~17:30
定休日:無休
公式サイト:http://www.takagiya.co.jp
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以上、都内の串団子の老舗を3店紹介した。大都会の中でも、昔ながらの和菓子名店はまだまだ残っている。都心の散策・観光の際には、こうした店を探してみるのも一興だろう。
取材・文/鈴木拓也
老舗翻訳会社役員を退任後、フリーライター兼ボードゲーム制作者となる。趣味は散歩で、関西の神社仏閣を巡り歩いたり、南国の海辺をひたすら散策するなど、方々に出没している。