以前「蕎麦屋の七不思議」のひとつ、ワサビについて書いたところ、七不思議のほかの六つは、どういうものがあるのかと、お問い合わせをいただいた。
そこでワサビに続いて、「蕎麦屋の七不思議」から、もうひとつの不思議をご紹介しよう。
それは、「種物の具に、なぜ江戸前の魚介が少ないのか」ということ。種物とは、天ぷら蕎麦などのように、温かい蕎麦の上に具を乗せた蕎麦のことだ。
ご存知のように、江戸ならではの食文化といえば、蕎麦とならんで江戸前握り鮨があげられる。これは江戸前の海で漁獲された魚介を、酢飯とあわせた料理だ。握り鮨を完成させた人物とされる花屋與兵衛の子孫、小泉清三郎が著した『家庭 鮓のつけかた』には、伝統的な鮨種が列記されている。それを見ると、コハダ、サヨリ、キス、アジ、シラウオ、穴子、鯛、平目、サワラ、アカガイ、トリガイ、アワビ、ハマグリ、イカ、車海老、タコなど、まだまだあるが、ざっと見てもこれほどに多種類の魚介が使われている。さらにその調理法も、煮たり、焼いたり、酢で締めたり、昆布締めにしたり、あるいは醤油漬けにしたりと、こちらも様々な技法を駆使して、おいしい鮨を作るための工夫をしている。
ひるがえって江戸の伝統的な蕎麦の種物を見てみよう。
「あられ蕎麦」では、アオヤギの貝柱を使う。
「天ぷら蕎麦」で芝海老、車海老。
見かけることは少ないが「穴子南蛮」の穴子。
驚いたことに、魚介類を使った主要な蕎麦は、この程度しかない。蕎麦と鮨は、同じ江戸という町に、同じ時代に花開き、しかも同じ濃口醤油をベースにした料理であるのに、この違いはどこから来るのだろう。これが解けない「蕎麦屋の七不思議」の、ふたつ目の謎だ。
謎ということは、答がいまだ、みつからないということ。だから結論は無しということになるが、それでは話がまとまらないので、この疑問について少し考察を試みよう。
現在、日本各地には、魚介を使った蕎麦が、いろいろある。
良く知られたところでは、京都の蕎麦店『松葉』で、明治15年ころから始めたという「ニシンそば」。これはニシンを甘辛く炊いて蕎麦の具にした料理だ。京都には別の店で、タコを種にした蕎麦もある。
北海道、東北地方には、牡蠣を具にした「かきそば」や、ウニを乗せた「雲丹とじ」、イクラを使った「はらこそば」、イカの塩辛を種にした蕎麦など、海産物を利用した多彩な種物がそろっている。
さらに福井の蕎麦店『笏谷そば』では、マグロなどの刺身と組み合わせた蕎麦さえ味わうことができる。
そして、これらの蕎麦は、おおむね、おいしい。
それなのになぜ、江戸の蕎麦の具には、魚介類が少ないのか。酢飯と江戸前の魚介は相性が良くておいしい鮨になったが、蕎麦と魚はあわないのかというと、そんなことはない。京都の「ニシンそば」は絶大な人気で、今では郷土食と呼んでもおかしくないほど一般的になっている。蕎麦の具には不向きではないかという印象があるニシンでさえ、適切に調味すれば立派な種物になる。この一例をみても、魚介と組み合わせた蕎麦に大きな可能性があることは否定できないだろう。