談/新谷卓弘先生(やすらぎ内科 院長)
現在、5人に1人が睡眠障害で悩んでいるといわれています。日本の総人口を1億2000万人としますと、2,400万人もの人が眠りについて何らかの問題を抱えていることになります。
そんななか注目を集めているのが、漢方薬による不眠治療です。
■朝すっきり起きられる秘訣
人はなぜ眠るのか、その理由は明らかになっていません。しかし、太陽が沈んで暗くなると、脳の松果体(しょうかたい)というところからメラトニンというホルモンが分泌されて、眠りのモードに入ることが明らかになっています。そして、日が昇るとメラトニンの濃度が低下して覚醒するのです。
よく知られていますように、睡眠には「ノンレム睡眠」と「レム睡眠」があります。ノンレム睡眠は脳が眠っている状態で、レム睡眠は脳が活動していて眼球が動く、つまり夢を見ている状態です。その間隔は90~110分とされていて、夢を見ていないタイミングで起床すれば、すっきりと起きられます。
■睡眠不足が健康に及ぼす影響
睡眠時間には個人差があります。レオナルド・ダ・ヴィンチの場合、4時間ごとに15分だけ眠る細切れ睡眠で、合計一日90分だけ眠るような超ショートスリーパーだったそうです。一方、大相撲の横綱白鵬は、1日10時間以上眠るロングスリーパーです。
このように極端なケースもありますが、最近の研究では連続して7~8時間ほど眠らないと記憶が定着しにくく、身体的にも良いパフォーマンスを発揮できないことが分かってきました。また、太りやすくなって、高血圧、高脂血症、糖尿病などを引き起こすメタボリック症候群の発症リスクも高まってきます。
■睡眠薬と抗不安薬
睡眠薬や抗不安薬は、「不眠、不安、緊張感の緩和」を主な目的として使用されています。なかでも即効性のあるものは、依存性が高く、離脱するのも難しい薬となっています。
特に薬物依存症として問題になっている薬の四天王は、エチゾラム(商品名デパス)、フルニトラゼパム(商品名サイレース、ロヒプノール)、トリアゾラム(商品名ハルシオン)、ゾルピデム酒石酸塩(商品名マイスリー)です。これらの薬は、すべて向精神薬に位置付けられています。このため、2016年秋から30日間を超える投薬はできなくなっています。
そして、現在、こうした西洋薬を使った治療から脱却または減薬するために、漢方薬を活用した治療が見直されています。
■東洋医学における睡眠の考え方
東洋医学では睡眠をどのように捉えているのかと申しますと、まず、日中は太陽にさらされて、「氣(生命エネルギーのこと)」が巡りやすくなります。それに伴い活動的になって筋肉を動かすため、熱を産生して身体が温められます。やがて、太陽が沈み、夜が訪れると不活発になって、「氣」の巡りが減少し、体温が下がってきます。そして、ヒトは休息につくと考えています。
赤ちゃんが眠くなると身体が暑く感じられますが、あれは熱を放散して身体のコアの体温をさげて眠りのモードに入りやすくしているからで、理屈としては一致しています。
ヒトは昼行性動物なので、日中の運動量に影響されます。ところが、日本人の体温はこの50年で0.8℃下がってきて(1957年の調査では成人は36.9℃でしたが、2008年には36.1℃と報告されています)、日中の体温が上がりにくくなっています。恐らく文明の進歩でヒトの運動量が減り、熱産生を担う筋肉量が減って、体温が上がりにくくなってきたのです。この結果、活動と休息のメリハリが失われ、熟睡しづらくなり不眠が増加してきたものと推察されます。
■漢方薬を使って睡眠障害が改善した例
私が診た58歳の女性は、主婦業とパートをバリバリこなしていた元気な方でしたが、57歳の時に乳がんの手術を受け、体重も一年間で20kg減少し、がんの再発不安もあったため入眠障害も出現していました。近隣の医院でハルシオン(既出)を処方され、寝つけるようになりましたが、2時間もすると覚醒し、さらに全身倦怠感や乳がん術後の左肩関節痛も顕著になってきました。当クリニックを受診された時には、顔色も悪く、やせ細って、家事や仕事もできなくなり、心理試験では不安と抑うつがとても高い状態でした。
鍼灸治療を行ったところ、高度な冷え症を認めたため、茯苓四逆湯(ぶくりょうしぎゃくとう)という漢方薬を処方しました。すると、一週間後には食欲が旺盛になり、冷えも改善してきました。それまでは夏でもコタツに入っていたのですが、そのようなこともなくなりました。さらに漢方を内服して1ヶ月後には、肩関節の痛みが和らぎ、睡眠も良くなり疲労感も減少してきました。この結果、ハルシオンの内服を中止することができました。
■東洋医学の見地における不眠
不眠の原因については、東洋医学では次のように考えます。
・胆虚(たんきょ):考え事がまとまらず、ため息をつくことが多い。
・心熱(しんねつ):赤ら顔になって、寝言が多い。
・脾虚(ひきょ):考え事が多く、悩んだ末に食欲が低下する(上述のようなケース)。
人によって処方は変わりますが、温胆湯(うんたんとう)類や黄連剤(おうれんざい)、柴胡(さいこ)剤などがよく使用されます。
東洋医学では睡眠だけに焦点をしぼらず、心と身体を一緒くたに扱う「心身一如」の立場から病気と正対します。すなわち、「木を見て、森を見る」ような全人的発想で治療を行っているのです。
しかし、いかなる薬を処方しても、日頃の生活習慣(食べること、寝ること、排泄すること、心の持ちようなど)を改めて養生しなければ、根本的解決にはいたりません。生き様を変えるということを念頭に置いていただけたら幸いです。
談/新谷卓弘 先生
1983年 富山医科薬科大学医学部卒業後、飯塚病院漢方診療科医長、富山医科薬科大学。和漢診療学教室医局長、鐘紡記念病院和漢診療科医長、岡山大学医学部講師(東洋医学)、近畿大学東洋医学研究所教授、森ノ宮医療大学保健医療学部鍼灸学科教授を歴任し、2016年9月に埼玉県さいたま市にて「やすらぎ内科」を開院。2007年12月、富山大学医学部 和漢診療学講座同門会会長。『心に効く漢方~あなたの「不定愁訴」を解決する』(PHP研究所)、『最新情報 漢方』(NHK出版、共著)、『現代漢方を考える』(薬事日報社、共著)、『冷え症・むくみ。ホントなの ウソなの』(環健出版社)、『専門医のための漢方医学テキスト』(共著、
取材・文/わたなべあや
1964年10月生まれ、大阪府出身。大阪芸術大学文芸学科卒業。料理学校で講師をしていた母と医師の叔父に影響を受け、幼い頃より食べることと健康に高い関心を持つ。グルメ、医療関係を中心に執筆中。