文/矢島裕紀彦
今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「人生の本舞台は常に将来にあり」
--尾崎行雄
尾崎行雄は安政5年(1858)相模国又野村(現・神奈川県津久井町)に生まれた。
慶応義塾で福沢諭吉の薫陶を受け、その推薦で新潟新聞の主筆となった。このとき、尾崎はまだ21歳の若さ。出迎えた新聞社員は、まさか目の前の青年が新しい主筆とは思わず、「尾崎先生はどこにいられるのか?」と尾崎行雄本人に問いかけたという。それでも、その仕事ぶりは確かですぐに社員の信頼を獲得、新聞の発行部数も増加させた。
尾崎が政治活動に乗り出すのは、明治15年(1882)。大隈重信を党首とする改進党を結成し、全国を遊説。「薩長の藩閥打倒、言論の自由、集会の自由の保証」を唱え、自由民権運動のリーダー的存在となっていく。薩長藩閥にとっては目障りな存在だったのだろう、まもなく尾崎に保安条例による東京退去命令が下される。明治20年(1887)12月のことであった。
この逆境を、尾崎は好機に変えた。アメリカを経由してイギリスへと遊学し、議会制民主主義の理念を学んだのである。
明治23年(1890)、国会開設にともない第1回の衆議院選挙が実施された。尾崎はこれに立候補して当選。以降、25回連続当選し、60余年にわたって衆議院議員をつとめることになる。
尾崎行雄には「憲政の神様」「議会政治の父」の異名があった。議会制民主主義の発展と護憲運動に熱心に取り組んだ故であろう。
第1次世界大戦後、いち早く普通選挙運動の先頭に立ち、昭和に入ってからは、治安維持法の制定に最後まで反対、戦時下の翼賛選挙を攻撃し不敬罪に問われたりもした。軍部主導の政府を批判し諫めるため、辞世の歌を胸に演壇に立ってもいる。
掲出のことばは、そんな尾崎行雄が書にもしたためた座右の銘。年齢を積み重ねても、つねに未来へ明るい目を向けていた尾崎行雄の姿が重なる。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。
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