今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「獅子の児の親を仰げば霞可那(かな)/巌間の松の花しぶく瀧/ほそ道のここにも春のかよふ覧(らん)」
--幸田露伴
作家の幸田露伴は夏目漱石と同じ慶応3年(1867)の生まれだ。
幸田家は代々、江戸幕府に仕えて有職故実や芸事にかかわった表御坊主の家柄で、露伴は第四子だった。露伴誕生の翌年には明治新政府が成立して仕えるべき幕府は瓦解するが、兄弟姉妹の多くは、その後、学者や音楽家として名を成した。
露伴自身も、驚くべき博識と眼識の持ち主。あらゆる漢籍や古典、仏典などに通暁していた。しかも、書物だけの人でないのが露伴の只者でないところ。正しい雑巾しぼりに始まる掃除の心得、庖丁の扱い、お燗のつけ方、さらには薪の割り方まで、娘の文に実地に仕込んだという。
掲出のことばは、そんな露伴が娘の文に贈った扇子に書かれたもの。私はこれを、露伴の孫(文の娘)である青木玉さんのお宅で、取材の際に見せてもらった。扇子は長さ18センチと、見るからに小振りな女持ち。すっと開くと、渋い銀の地色に黒の墨跡でしたためられた、この達筆の文字が目に飛び込んでくる。
わが親によって千仞(せんじん)の谷に突き落とされた子ライオンの姿を描写し、そこの細道にも春は通うだろうと詠む。これが幸田露伴が愛娘にやった唯一の書だというのだから驚く。
そう。思えば露伴は、文の目の前で、「おまえは赤貧洗うがごときうちへ嫁にやるつもりだ」と楽しげに語ったこともあったという。なんたるヘソ曲り。だが、そこに露伴流の哲学も感じられる。これ
も、筋金入りの明治の厳父の、ひとつの愛情の示し方だったのか。
そして、この父にして、娘の文も厭も応もなく磨き上げられたのだろう。生き方も文章も、並外れて強く、しなやかであった。
今日は5月5日、子供の日。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。