文・写真/杉﨑行恭(フォトライター)
飛騨の名湯、下呂温泉を出たJR高山本線の下り列車は、エンジンを吹かしながら勾配に挑んでいく。やがて衝立のような山が迫ってくるところに飛騨小坂駅があった。
山の中にありながら広い構内の立派な駅だ。でもここは列車の乗務員がきっぷを集める無人駅だった。
そしてホームから地下通路を歩いていくと、すばらしい駅舎が現れた。
壁も柱もなにもかも、駅舎のあらゆるところに太い丸太を配した丸太小屋の駅だ。しかも土台には丸い自然石を埋め込み、天井は白樺を飾るなど細かなところまで作り込んだ建物は、よき時代の山小屋のような雰囲気にあふれている。
駅前に立って駅舎を見る。車寄せの柱まで丸太を飾ったログハウスながら、玄関の軒に神社風の千木もあった。
列車から降りたのは私と数人の登山者だけ、予約していたらしいタクシーで彼らが去っていくと静寂の駅にひとり残された。
ここは昭和30年代には御嶽山(数年前に噴火しましたね)の西側の登山口だった。駅の標高はすでに525m、借景にみごとな針葉樹林の山がそびえていた。一帯は飛騨川と小坂川の合流するところに発展した山間の町で、銘木で知られた飛騨ヒノキで栄えたところだ。
飛騨小坂駅舎の建築は1933年(昭和8)、設計者は長友進と記録にある。このような丸太造りの駅舎は川湯温泉駅(釧網本線)や大月駅(中央本線)などが残っている。
鉄道による観光が普及した時代、登山客にアピールするため地元の杉やヒノキをふんだんに使って建てたのだろう。かつては乗降客数に応じて『小停車場駅本屋標準図』(昭和5年)による駅舎が建てられていたが、やがて地域色を出す駅舎が全国に建てられていった。駅舎めぐりをしていて一番おもしろい時代だ。
列車を待つ間、ぶらぶらと坂を歩いていくと飛騨川にかかる橋の名も『きこり大橋』だった。
数少ない営業中の商店で名物の『とちの実せんべい』を買い、ぼりぼりと食べながら飛騨小坂駅に戻ると地元のおじさんが待合室で涼んでいた。昔の様子を聞くと「きこり大橋のところを森林鉄道が渡って材木を運んでいた。隣の広場は材木を置く土場だった、待合室の壁はナラ材だよ」といろいろ教えてくれた。
気がつくと無人駅にもかかわらず駅はきれいに掃除され、窓ガラスも拭かれている。すでに御嶽山登山のメインルートは長野県側になり林業も衰退した、それでも昔の記憶を留めるログハウスの駅舎は地元の人たちの手で守られていた。次の列車まで1時間35分、少しも長く感じなかった飛騨小坂駅だった。
【今日の駅舎】
『飛騨小坂(ひだおさか)駅』(JR東海 高山本線)
■ホーム:1面2線
■所在地: 岐阜県下呂市小坂町大島
■駅開業:1933年(昭和8年)8月25日
■アクセス:JR東海道本線岐阜駅から普通列車で約2時間30分
文・写真/杉﨑行恭
乗り物ジャンルのフォトライターとして時刻表や旅行雑誌を中心に活動。『百駅停車』(新潮社)『絶滅危惧駅舎』(二見書房)『異形のステーション』(交通新聞社)など駅関連の著作多数。