今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「先にお辞儀をするな。みんなが頭を下げるのを見渡してから、ゆっくりと頭を下げなさい」
--向田敏雄
向田敏雄は、昭和44年(1969)2月に満64歳で病没。逆算すると、おそらく明治37年(1904)生まれだったろう。高等小学校卒業後、保険会社に給仕として入り、誰の引き立てもなしに、会社はじまって以来といわれるほどの昇進をし、地方支店長をつとめていた。そのため転勤が多く、家族もついてゆくので、必然的に子供たちも転校を繰り返した。
小学校だけで、宇都宮、東京、鹿児島、高松(香川)と4回変わったとは、後年の長女の弁。長女の下には、ふたりの妹とひとりの弟。4人姉弟だった。
新しい学校へ初めて登校しようという日、朝の食卓で、気の重そうな子供たちに向かって父・向田敏雄は演説口調で言う。
「しっかりご飯を食べてゆけ、空きっ腹だと相手に呑まれるぞ」
つづけて掲出のことばを口にし、さらにこう付け加える。
「いじめられるかどうかは、この一瞬で決まるんだ」
お辞儀ひとつでも、とらえ方によってはなかなかに奥深いものがある。夏目漱石は小説『虞美人草』の中に、「人間の誠は、下げる頭の時間と正比例するものだ」という一文を綴り込んでいる。
実際には、登校した向田家の子供たちは、教壇の横に立って先生の紹介を受け、「礼」の号令で、座席にいる子供たちと互いに頭を下げ合うのが普通だったから、父の助言が取り立てて役に立つことはなかった。
むしろ、このことばは、本人自身に言い聞かせるような内容を含んでいた。それを知っていて、一席ぶった向田敏雄が御不浄へ行くため朝食の席を離れると、彼の母と妻はこんな会話を交わしていたという。
「自分のこといってるよ」
「聞こえますよ、おばあちゃん」
新任の支店長は、転校生以上に気苦労も多かったのだろう。
この母が亡くなった通夜の晩、向田敏雄は自宅玄関前にざわめきとともに「社長がお見えになった」という声を聞いた。向田敏雄はすぐにすっ飛んでいって、その場に平伏するようにお辞儀をした。普段、家庭では暴君のように威張り散らしている様子からは想像できない姿だった。それを目撃した長女は、のちに綴る。
「葬式の悲しみはどこかにけし飛んで、父のお辞儀の姿だけが目に残った。私達に見せないところで、父はこの姿で戦ってきたのだ。父だけ夜のおかずが一品多いことも、保険契約の成績が思うにまかせない締切の時期に、八つ当りの感じで飛んできた拳骨をも許そうと思った。私は今でもこの夜の父の姿を思うと、胸の中でうずくものがある」(『お辞儀』)
すでにお気づきの方も多かろう。長女の名は向田邦子という。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。