今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「夜は朝食を思い、朝は昼飯を思い、昼は夜飯を思う。命は食にありと、この諺の適切なる、余の上に若(し)くなし。自然はよく人間を作れり。余は今、食事のことのみを考えて生きている。」
--夏目漱石
夏目漱石は、若い頃はなかなかの大食漢。胃を悪くしてから思うに任せぬところはあったが、食べることが好きなのに変わりはなかった。とくに病気で寝込んで少し回復してきたりすると、他に楽しみがないから、余計に食べることに執着する。隣室で皆が鮨でもつまもうものなら、「俺にも何か食わせろ」と駄々をこねるし、しまいには奥さんの目を盗んで煎餅をかじったりしてしまう。
掲出の言葉は、明治43年(1910)10月4日の『日記』に見える。いわゆる「修善寺の大患」の回復期に当たり、三途の川の手前から危うく引き返してきた身には、「命は食にあり」の言葉は痛切に響いていただろう。「若(し)くなし」は、及ぶものはないの意。
これをたとえば、後年の時代小説家・池波正太郎流の言い回しにすれば、「死ぬるために食うのだから、念を入れなければならない」ということになろうか。
今日、1月7日は、新年の御馳走に疲れた胃を休める「七草がゆ」の日。家人には、幼いころ母親と一緒に「スズナ、スズシロ、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ」と節をつけて歌いながら、まな板の上の七草をとんとんと庖丁で刻んだ懐かしい記憶があるという。長く受け継がれてほしい、日本の母と娘の情景。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。