文屋康秀(ふんやの・やすひで)は平安初期の歌人で、六歌仙の一人に数えられる名高い歌人です。生没年は不詳ですが、平安時代の初期(9世紀ごろ)に活躍しました。官位は高くありませんでしたが、その巧みな言葉遣いと味わい深い和歌で知られています。
しかし、紀貫之は『古今和歌集』の仮名序で、康秀の歌について「詞は巧みなれども、そのさま身におはず。いはば商人(あきひと)のよき衣着たらむがごとし」と評しています。言葉の技巧は優れているものの、身についていない、人柄よりも技巧が勝っているという、やや辛口の批評でした。
とはいえ、勅撰和歌集『古今和歌集』にも歌が収められ、同じ六歌仙の小野小町との交友も伝えられています。彼は自分の身の周りの何気ない自然の風景や感情を和歌に巧みに織り込む手法が特徴で、『小倉百人一首』37番の作者、文屋朝康の父です。

(提供:嵯峨嵐山文華館)
文屋康秀の百人一首「吹くからに~」の全文と現代語訳
吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ
【現代語訳】
秋風が吹くと、秋の草木はしおれてしまいます。なるほど、山から吹き込むこの風だからこそ、「嵐」と呼ばれるのでしょう。
『小倉百人一首』22番、『古今和歌集』249番に収められています。この歌の見事なところは、「嵐」という漢字の成り立ちに着目した、いわば謎解きのような構造にあります。「嵐」という字は「山」と「風」を組み合わせたもの。康秀は、この漢字の構造と実際の自然現象を重ね合わせて、言葉の持つ意味の必然性を詠んだのです。さらに「荒らし」との掛詞も用いられています。
「むべ」は「なるほど」「もっともだ」という意味。現代風に言えば「確かに!」という納得の気持ちを表します。草木がしおれるほど激しく吹く山からの風だからこそ、「嵐」と呼ぶのだという発見が、この歌のポイントです。

(提供:嵯峨嵐山文華館)
文屋康秀が詠んだ有名な和歌は?
六歌仙の一人でもある文屋康秀が詠んだ他の歌を紹介します。

草も木も 色かはれども わたつうみの 浪の花にぞ 秋なかりける
【現代語訳】
秋になると野の草も木も色が変わるけれども、海の波の花は、花と言っても秋に色の変わることはないのであるよ。
『古今和歌集』250番に収められています。陸の上では、木々が紅葉し、草が枯れていくという「秋」の景色が広がっています。しかし、視線を海に移せば、季節に関係なく、白い波が打ち寄せている。康秀は、その白波を「浪の花」と表現し、季節の移ろいを超越した海の雄大さと、変化していく陸の景色の切なさを鮮やかに対比させています。
文屋康秀、ゆかりの地
文屋康秀、ゆかりの地を紹介します。
三河国(現在の愛知県東部)
康秀は三河国(現在の愛知県東部)に「三河掾」(みかわのじょう)、つまり地方官として赴任したことがあります。その時に、小野小町に「一緒に来てくれないか」と誘ったと言われています。具体的な場所までは特定できませんが、都の華やかさとは違う、地方の自然に触れる中で、彼の歌の世界はさらに深まっていったのかもしれません。
愛知県を旅する機会があれば、かつてこの地で康秀が秋風を感じ、歌を詠んだかもしれないと、千年の時を超えて思いを馳せてみるのも一興です。
最後に
文屋康秀の「吹くからに」の歌は、言葉の成り立ちに着目した知的な遊びが魅力です。「嵐」という文字が山と風から成ることを、実際の自然現象と結びつけた発想は、平安時代の人々の言葉への深い愛情を感じさせます。
現代を生きる私たちも、日常で使う言葉の成り立ちや意味を改めて考えてみると、新しい発見があるかもしれません。百人一首という古典の中に、こうした言葉遊びの楽しさが込められていることを知ると、和歌がぐっと身近に感じられるのではないでしょうか。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『全文全訳古語辞典』(小学館)
『原色小倉百人一首』(文英堂)
アイキャッチ画像/『百人一首かるた』(提供:嵯峨嵐山文華館)
●執筆/武田さゆり

国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。
●構成/京都メディアライン・https://kyotomedialine.com
●協力/嵯峨嵐山文華館

百人一首が生まれた小倉山を背にし、古来景勝地であった嵯峨嵐山に立地するミュージアム。百人一首の歴史を学べる常設展と、年に4回、日本画を中心にした企画展を開催しています。120畳の広々とした畳ギャラリーから眺める、大堰川に臨む景色はまさに日本画の世界のようです。
HP:https://www.samac.jp










