取材・文/ふじのあやこ

日本では婚姻届を役所に提出し、受理されると夫婦と認められる。夫婦となり、パートナーのことを家族だと受け入れられるものの、パートナーの両親やきょうだい、連れ子などを含め、「みんなと家族になった」とすんなり受け入れられる人もいれば、違和感を持つ人もいるという。また、ずっと家族として生活していたものの、分かり合えない関係のまま離れてしまった人もいる。家族について戸惑った経験がある人たちに、家族だと改めて感じられたきっかけを聞いた。
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株式会社ラス恋では、恋愛観・結婚観に関するアンケート調査(実施日:2025年7月11日〜17日、有効回答数:40代〜70代の男女1133件、マッチングアプリ「ラス恋」アプリ内アンケート)を実施。調査にて、この夏「こんな恋してみたい」という理想の恋について聞いたところ、1位になったのは「手をつないで歩くだけで嬉しい、ときめきをもう一度感じられる恋(239pt)」だった。2位は「毎日連絡を取り合えるような、たくさん話せる関係(238pt)」となり、結婚や共同生活を意識したものではなく、ときめきを日常の中に持ち続けたいという傾向があることがわかった。
今回お話を伺った千尋さん(仮名・43歳)は、ずっとシングルマザーだった母親に付き合っている人がいることを知りつつも、知らないふりを続けた過去を持つ。
父親の顔も思い出せない。3歳のときに両親が離婚
千尋さんの両親は、千尋さんが3歳のときに離婚した。千尋さんには4歳上に兄がおり、その兄が両親の離婚を嫌がっていたことだけを覚えているという。
「両親が離婚するとなったときに、私たちは先に母方の祖父母の家に預けられたのですが、そこで兄がめちゃくちゃ泣いていた記憶が残っています。兄もまだ7歳だったので泣いている姿を見るのは初めてじゃなかったはずなのですが、母親に嫌だと泣き叫んでいる姿がとてもかわいそうに見えたんですよね。私は、両親が離婚するという実感がなかったのか、自分は何をしていたかは覚えていません」
母親ときょうだいの3人は離婚後は祖父母の家でそのまま暮らすことに。千尋さんが覚えているのは、祖父母との5人での生活からだった。
「離婚前まで暮らしていた家は賃貸だったようで、祖父母の家がある場所から電車で20分ほどの2つ隣の市なんですが、どこにあったかも覚えていません。私の記憶は祖父母との5人での暮らしからです。
父のこともほとんど覚えていないんです。両親が離婚のときにどのような話になったのかは知りませんが、離婚後に父が兄や私に会いに来てくれることはなかったから。顔も昔の写真などを見ても、あ~こんな顔していたなとも思わないんです。知らない人のようです」
父親はいなかったが、祖父母との5人の生活は楽しかったと振り返る。
「母親と祖父は仕事に出かけますが、ずっと祖母が一緒にいてくれたので、特に寂しいと思うことはなかったです。それに祖父母の家の近所には伯父家族も暮らしていて、1歳違いの従姉もいたので。本当のお姉ちゃんみたいに、ずっと一緒にいました」
【母親の異性関係は絶対に知りたくなかった。次ページに続きます】
