はじめに-お市とはどんな人物だったのか
お市(おいち)は、織田信長の妹にあたる戦国時代の女性です。浅井長政との政略結婚を始め、兄・信長を取り巻く戦いに巻き込まれていきました。夫と共に自害したという最期も印象的なお市は、運命に翻弄された悲劇のヒロインとして描かれることが多いです。その波乱万丈で興味深い生涯に加えて、彼女は非常に容姿が優れていたとされており、「戦国時代きっての美人」という印象をお持ちの方も多いのではないでしょうか。
では、実際のお市はどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。
NHK大河ドラマ『どうする家康』では、織田と徳川の盟約をきっかけに、家康と数奇な運命を共にすることになる、信長の妹(演:北川景子)として描かれます。
目次
はじめに-お市とはどんな人物だったのか
お市が生きた時代
お市の足跡と主な出来事
まとめ
お市が生きた時代
お市は、兄・信長の13歳年下の妹として織田家に生まれました。群雄割拠の武将らがひしめき、ぶつかり合う時代です。女性であるお市もまた、一族のために親交のあった家に嫁ぐこととなります。天下を取らんとする信長は、妹であるお市の生涯にも強い影響力を持っていたのでした。
お市の足跡と主な出来事
お市は、天文16年(1547) に生まれ、天正11年(1583)に没しています。その生涯を出来事とともに紐解いていきましょう。
信長の妹として生まれ、政略結婚を結ぶ
お市は天文16年(1547)に、織田信秀(のぶひで)の娘として生まれた、信長の妹です。永禄10年(1567)末か翌年の初めごろ、北近江(=現在の滋賀県)の戦国大名・浅井長政(ながまさ)のもとに嫁ぎました。長政の居城・小谷城(おたにじょう)にいたため、お市は「小谷の方」の名で呼ばれたとされます。
お市の結婚は兄・信長の命とされます。それは信長が上洛のための布石として、長政と同盟を結ぶための政略結婚でした。こうして始まった長政との結婚生活で、お市は3人の娘・茶々(ちゃちゃ)、初(はつ)、江(ごう)と2男をもうけます。
夫・浅井長政の最期
お市が嫁いだ浅井氏は、結婚の後、信長と同盟を結びます。しかし元亀元年(1570)、信長の越前侵入が始まると、長政は長らく同盟関係にあった朝倉義景(よしかげ)を支援。信長に離反し、抗争するに至ります。
浅井・朝倉連合軍は、姉川にて信長・家康軍と戦うも、大敗。以後、本願寺、武田信玄、比叡山などと結び挽回を図りました。しかしついに天正元年(1573)8月、小谷城は信長の猛攻を受け、落城。長政は、父・久政(ひさまさ)とともに自殺したのでした。
浅井家が滅び、織田家に戻る
夫・長政が信長に滅ぼされると、お市は娘らと城を脱出し、織田氏のもとへ帰ります。信長の事蹟を編年的に叙述した戦記『総見記(そうけんき)』によれば、信長は妹という理由でお市をしばらく弟・信包(のぶかね)に預けました。清洲城へ移ったお市は、その三人の娘とともに養育されたといわれます。
信長の死後、柴田勝家と再婚
浅井家を出た9年後の天正10年(1582)、明智光秀による「本能寺の変」で、兄・信長が自刃。お市は、織田氏の宿老・柴田勝家(かついえ)に嫁すことになります。この再婚は信長の命令であったともいわれていますが、勝家と秀吉と申合せのあったことが推測されます。こうしてお市は、娘らとともに勝家の居城・越前北ノ庄(きたのしょう)に赴きました。
【秀吉に攻められ、夫・柴田勝家とともに自害。次ページに続きます】