第58代光孝天皇(こうこうてんのう、830年~887年)は、仁明天皇の第三皇子として生まれ、聡明で温和な人柄で知られました。即位前は時康親王として中務卿や式部卿を務め、三代の天皇に仕えました。
特筆すべきは、その教養の深さと慈愛に満ちた人柄です。宮中での逸話として、配膳係の失態を灯火を消すことで目立たなくさせた話は有名です。また、読書や和琴を愛し、朝廷儀礼の復活にも尽力しました。
55歳で即位後は、政務を関白の藤原基経に任せ、文化面の充実に力を注ぎました。しかし、在位わずか3年余りで58歳にて崩御。8人の子に恵まれながらも質素な暮らしぶりだったことも、その人となりを物語っています。『源氏物語』の光源氏のモデルという説も残る、平安期を代表する教養人の天皇でした。

(提供:嵯峨嵐山文華館)
目次
光孝天皇の百人一首「君がため~」の全文と現代語訳
光孝天皇が詠んだ有名な和歌は?
光孝天皇、ゆかりの地
最後に
光孝天皇の百人一首「君がため~」の全文と現代語訳
君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪は降りつつ
【現代語訳】
あなたのために春の野に出かけて行って、若菜を摘んでいる私の袖に、雪が次から次へと降りかかってくるのだ。
『小倉百人一首』15番、『古今和歌集』21番に収められています。『古今和歌集』の詞書には「仁和の帝、皇子におはしましける時に、人に若菜たまひける歌」とあります。
若菜摘みは、春の訪れを告げる年中行事の一つでした。若菜には邪気を払い、長寿をもたらす効能があるとされ、宮中でも「若菜の節会(せちえ)」として新年の一月七日に七種の若菜を食して長寿を祈っていました。現代でも七草粥を食べますね。
「君」は恋人であるか、男女どちらであるかもわかりませんが「大切なあなた」のために寒い中若菜を摘んでいるという、献身的で愛情深い情景を詠み込んでいるのです。
さらに、若菜の緑と雪の白の色のコントラスト、春と冬が交錯する繊細な季節の描写が見事に表現されています。

(提供:嵯峨嵐山文華館)
光孝天皇が詠んだ有名な和歌は?
光孝天皇は文化活動に精力的で和歌の才にも優れていました。そんな光孝天皇の他の歌を紹介します。

逢はずして 経るころほひの あまたあれは はかなき空に ながめをぞする
【現代語訳】
逢わずに過ごす、雨の降る日が長く続くので、遥かな空を眺めて物思いに耽っているのだ。
『新古今和歌集』1413番に収められています。この歌は、「経る/降る」と「ながめ(眺め/長雨)」の掛詞を巧みに用い、逢えない時間が長く経過することと、降り続く雨を重ね合わせています。遥かな空を見つめる行為と長雨を掛けることで、恋人との距離の遠さと切ない思いを表現しています。
君がせぬ 我が手枕は 草なれや 涙のつゆの 夜な夜なぞおく
【現代語訳】
あなたが手枕にしてくれない私の袖は、草だろうか。まさかそんなはずはないのに、涙の露が夜ごとに置くのだ。
『新古今和歌集』1349番に収められています。長らく参上しない更衣に贈った歌です。「君がせぬ手枕」は、更衣がいない寂しさを表現しています。我が手枕が草のように、力なく、生命感のないものになってしまった、というのです。
下句の「涙のつゆ」は、単なる涙の比喩ではなく、露の重みで草がしなだれるイメージと重ねられています。夜毎に降り積もる涙の露によって、手枕の草はますます力なく、しなびていくのです。これは、更衣を待ちわびる天皇の、鬱屈した恋情の象徴といえるでしょう。
光孝天皇、ゆかりの地
光孝天皇ゆかりの地を紹介します。
仁和寺
京都市右京区にある仁和寺。光孝天皇が「西山御願寺」建立を発願したことに始まります。光孝天皇崩御後、子の宇多天皇が遺志を継ぎ、888年に完成、仁和寺と命名されました。現在は真言宗御室派の総本山であり、境内には五重塔や仁王門など江戸時代建立の建造物が並び、1994年に世界遺産に登録されました。御室桜は例年4月中旬に見頃を迎え、創建当初と変わらぬ姿で訪れる人々を魅了しています。
後田邑陵(のちのたむらのみささぎ)
京都市右京区宇多野馬場町にある光孝天皇陵。宮内庁の形式分類では円丘とされ「小松山陵」とも称されます。現在も大切に保護されています。
最後に
光孝天皇の「君がため~」の歌は、優しい心遣いと季節の移ろいを見事に表現した秀歌です。大切な人を想う気持ちは、時代を超えて普遍的なものであり、それゆえに千年以上の時を経ても、私たちの心に深く響くのでしょう。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『全文全訳古語辞典』(小学館)
『原色小倉百人一首』(文英堂)
アイキャッチ画像/『百人一首かるた』(提供:嵯峨嵐山文華館)
●執筆/武田さゆり

国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。
●構成/京都メディアライン・https://kyotomedialine.com
●協力/嵯峨嵐山文華館

百人一首が生まれた小倉山を背にし、古来景勝地であった嵯峨嵐山に立地するミュージアム。百人一首の歴史を学べる常設展と、年に4回、日本画を中心にした企画展を開催しています。120畳の広々とした畳ギャラリーから眺める、大堰川に臨む景色はまさに日本画の世界のようです。
HP:https://www.samac.jp
