はじめに-松平武元とはどのような人物だったのか
松平武元(まつだいら・たけちか)は、江戸時代中期に老中として幕府の政策を長期間にわたって支えた重要人物です。武元の政治手腕は将軍徳川吉宗からの信頼を得て、老中首座として長期間政務を取り仕切るなど、江戸幕府の運営において大きな役割を果たしました。
そんな松平武元ですが、実際にはどのような人物だったのでしょう。史実をベースに紐解きます。
2025年NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』では、伝統と品格を重んじ、田沼意次とたびたび衝突する人物(演:石坂浩二)として描かれます。
目次
はじめに-松平武元とはどのような人物だったのか
松平武元が生きた時代
松平武元の生涯と主な出来事
まとめ
松平武元が生きた時代
松平武元が生きた正徳3年(1713)から安永8年(1779)は、江戸時代中期にあたります。この時期は、八代将軍徳川吉宗による享保の改革が行われた後、幕府の財政難が深刻化する中で様々な政治的・経済的挑戦が続いた時代でした。
文化的には浮世絵や戯作が発展し、江戸の町人文化が隆盛を極めた時代でもあります。このような激動の時期に、武元は幕政の中心人物として活躍しました。
松平武元の生涯と主な出来事
松平武元は正徳3年(1713、※1717とする説もあり)に生まれ、安永8年(1779)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。
幼少期と藩主としての出発
松平武元は正徳3年(1713)、水戸徳川家の支流である常陸(ひたち、現在の茨城県)国石岡藩主・松平頼明(よりあきら)の次男として生まれました。
将軍徳川家の血を引く家柄の上野(現在の群馬県)国館林藩主・松平武雅(たけまさ)の養子となり、享保13年(1728)に館林藩主の座を継ぎました。同時に陸奥(むつ、現在の福島県)国棚倉藩へ移封され、藩政を担い始めました。
老中としての昇進と活躍
武元はその後、幕府の要職に次々と就きました。元文4年(1739)には奏者番、延享元年(1744)には寺社奉行、延享3年(1746)西ノ丸老中に任命。その後、本丸老中に昇進し、幕府の中核である政治職を歴任しました。
特に明和元年(1764)には老中首座となり、幕府の財政運営や行政管理において主導的な役割を果たしたのです。
【『科条類典』の完成。次ページに続きます】