はじめに―藤原妍子とはどのような人物だったのか
藤原妍子(ふじわらのきよこ、または、けんし)は、平安時代中期の貴族であり、三条天皇の中宮(皇后)として知られています。妍子は藤原道長の次女であり、母は源倫子(ともこ、または、りんし)です。
妍子の生涯は父・道長の政治的野心や皇位継承をめぐる権力闘争に翻弄され、波乱に満ちたものでした。道長の次女・妍子は、実際にはどのような人物だったのでしょう。史実をベースに紐解きます。
2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』では、贅沢好きであけすけな性格の人物(演:秋山加奈、倉沢杏菜)として描かれます。
目次
はじめに-藤原妍子はどのような人物だったのか
藤原妍子が生きた時代
藤原妍子の足跡と主な出来事
まとめ
藤原妍子が生きた時代
妍子が生きた平安時代中期は、藤原道長が絶大な権力を握った時代でした。この時代は貴族文化が花開き、『源氏物語』などの文学作品が生まれた文化的にも豊かな時期です。しかし、その裏では皇位継承や貴族間の権力争いが激化しているときでもありました。その渦に妍子も巻き込まれていくのです……。
藤原妍子の生涯と主な出来事
藤原妍子は、正暦5年(994)に生まれ、万寿4年(1027)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。
藤原道長と源倫子の次女として誕生
正暦5年(994)、妍子は、藤原道長と源倫子の次女として誕生しました。きょうだいには、頼通(よりみち)、教通(のりみち)、彰子(あきこ、または、しょうし/一条后)、威子(たけこ/後一条后)、嬉子(きし/後朱雀東宮時の妃、後冷泉母)らがいます。
【尚侍への任命と東宮への入内。次ページに続きます】