文・絵/牧野良幸
女優の久我美子さんが6月に亡くなられた。日本映画黄金期に多くの作品に出演した方だけに残念である。
久我美子さんの代表作というと、ガラス越しのキスシーンで有名な今井正監督『また逢う日まで』がよくあがる。僕も一度上映会で見たことがある。
ソフトで見返した映画なら黒澤明監督『酔いどれ天使』の女子学生、成瀬巳喜男監督『あにいもうと』の妹・さん役などが印象深い。清楚だけれどまっすぐな性格の女性が似合った。あと野村芳太郎監督のサスペンス映画『ゼロの焦点』でのヒロインも印象深い。
今回取り上げる小津安二郎監督の『お早よう』も印象深い久我美子さんを見ることができる。1959年(昭和34年)の作品で、小津監督にとっては2本目のカラー作品だ。
『お早よう』は小津作品には珍しく子どもを中心に描いた映画だ。とはいえ子どもを取り巻く大人たちも主人公と言ってよいと思う。
舞台は東京の多摩川近くにある住宅地である。そこの林家には両親に敬太郎(笠智衆)と民子(三宅邦子)、子どもに実(設楽幸嗣)と勇(島津雅彦)がいた。
その林家に同居する有田節子が久我美子の役だ。節子は民子の妹らしい。実と勇には叔母にあたるので「おばちゃん」と呼ばれている。
僕は家族以外の親族と同居した経験はないが、昔は兄弟が多く年齢も離れていたから、若い叔母さんと同居するのは珍しくなかっただろう。実際僕のいとこの家ではそうだった。しかし久我美子のような素敵な叔母さんと同居していたという人は、なかなかいまい。
映画ではどうしても大人目線でこの「おばちゃん」を見てしまう。幼い勇が無邪気に、節子に覚えたての英語で「アイ、ラブ、ユー」と言うところなど、見ているこちらが赤面するほどだ。
しかし節子はこらっと言って笑うだけで相手にしない。その対応がまた素敵で、ますますこの「おばちゃん」が気になるのである。
それにしてもこの映画では、子どもが親によくしかられる。子どもも親に大人びたことを言い返す。僕はもういい歳なので、どちらの気持ちもわかって面白いが、やはり子どもの側に共感する度合いが高い。自分の幼少時と重なるからだ。
この映画の公開時、僕は1歳であるが、実や勇の姿は僕が昭和30年代から40年代にかけて過ごした幼少時代そのままに思える。髪形は同じ。黒い長ズボンも同じ。セーターも同じような柄を着ていた。母親からあれこれ言われるところも同じ。
実と勇は福井(佐田啓二)のところに英語の勉強に行くといいながら、近所の若夫婦の家にテレビを見に行っている。お目当ては相撲中継だ。当時はまだテレビなどの家電が普及していない時代で、大人も「洗濯機がほしいわ」と言っているほどである。
英語をサボった実を民子はしかるが、実も黙っていない。
「テレビが見たいからしょうがないじゃないか。だったら買ってくれよ」
「いい加減にしなさい! お父さんに言いつけるわよ」
「平気だい、怖かねえやい!」
そこに父親の敬太郎が帰ってきて,また怒られる。
「だいたいおまえは余計なことを言いすぎる!」
「大人だって余計なことを言ってるじゃないか! “こんにちは” 、“お早よう”、 “いいお天気ですね”、 “ああそうですね”」
「黙ってろ!」
笑えるシーンである。この映画はコメディと紹介されるとおり、小津監督が随所に仕込んだギャグに空振りはない。どれもクスッと笑うか、大笑いするかどちらかである。おそらくどこの国の人が見ても笑ってしまうことだろう。近所のお婆さん(三好栄子)など、小津作品の気品に似合わぬくらいの毒舌を吐き、これもまたおかしい。
父親に怒られたことで、実と勇は意地をはって口をきかなくなってしまった。両親も静かでいいと突き放す。
親子が意地をはりあっている場面で、久我美子の「おばちゃん」がまたまた輝くのである。基本的には大人の側ながら、子どもたちにもあたたかい言葉をかける。
「感心、感心、勉強してるのね。お菓子買って来たの。食べに来ない?」
それでも兄弟は無視する。
「いらないの? じゃあみんなで食べよう」
節子は笑顔でお茶の間に戻ってしまう。「おばちゃん」からこんなことを言われたら、僕ならすぐに口をきいてしまうところだ。しかし兄弟もこの戦いに勝ち目がないことがわかっている。親とケンカをしたあとの心細さが伝わる場面である。
実と勇が親に口をきいてしまうのは、テレビが家にきた時である。
「テレビ、買ったの!?」
「そうよ、お父さんが買ってくださったの」
実は敬太郎は近所づきあいでテレビを買ったのであるが、もちろん大人のしがらみだけで買ったのではない。直接描かなくとも親の愛情が伝わる場面だ。映画に行間というものがあるなら、行間を読ませるのも小津映画である。
余談ながら僕も小学五年生の時、わが家にカラーテレビが来た時は嬉しかった。実たちは初めてのテレビなのだから嬉しさはひとしおだろう。
ここでうまいなあと思ったのは、買ったテレビの本体を見せないことである。映るのはテレビの入っているダンボールと、その中を二人がのぞくところだけ。
男子だけかもしれないが、電化製品はダンボールこそ「萌え〜」なのだ。その「ナショナル テレビ」の文字が印刷されたダンボールさえ、画面の中で家具や食器まで緻密に配置する小津監督の美意識にかなったデザインに見えるから舌を巻く。
これ以上子どものシーンを取り上げると、三宅邦子の割烹着に母親の温もりを感じてしまうとか、自分も幼い頃パンツを汚した話とか、恥ずかしいことを書いてしまいそうなので、最後に久我美子のシーンを書いて筆を置こう。
節子と福井が駅で偶然出会い、電車を待ちながらする会話である。
「いいお天気ですね」
「ほんと、いい天気」
「あの雲、面白いかたちですね」
「ほんと、面白いかたち」
これは実が皮肉った大人の会話そのものであるが、大人はそんな会話をするのが幸せなのだ。
二人はやがて結ばれると予感させる。これも小津映画の行間を読むということだろう。節子を演じるのが気品のある久我美子だけに、多幸感はなおさらである。
【今日の面白すぎる日本映画】
『お早よう』
1959年
上映時間:94分
監督:小津安二郎
脚本:野田高梧、小津安二郎
久我美子、佐田啓二、沢村貞子、笠智衆、大泉滉 、東野英治郎、ほか
音楽:黛敏郎
文・絵/牧野良幸
1958年 愛知県岡崎市生まれ。イラストレーター、版画家。音楽や映画のイラストエッセイも手がける。著書に『僕の音盤青春記』 『少年マッキー 僕の昭和少年記 1958-1970』、『オーディオ小僧のアナログ放浪記』などがある。
ホームページ https://mackie.jp/