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小津映画の中で魅力を発散した女優・岩下志麻|『秋刀魚の味』【面白すぎる日本映画 第26回】

秋刀魚の味
文・絵/牧野良幸

今回は小津安二郎監督の『秋刀魚の味』である。1962年(昭和37年)のカラー作品。これが小津監督の遺作となった。

小津映画のワンシーンは絵画のようである。

よくそう言われる。僕もそう思う。僕のような絵を描く人間から見ても舌を巻くくらい、小津映画の画面は絵画的である。

とにかく構図が完璧だ。茶碗一つでさえ置く位置をこだわっているのが観る側にもひしひしと伝わる。色彩も相当考えられている。この『秋刀魚の味』では赤色が基調だろう。スカートやちょっとしたところに赤色が何度も登場する。

つなぎのシーンにすぎない風景描写でさえ、小津映画では名画のようだ。工場の煙突とかオフィスのビルディングとか、なんでもない建物なのだが、「このショットを油絵にしたら、いいだろうな」と思うことしきり。小津安二郎が絵筆を取っていたら、20世紀アメリカの画家エドワード・ホッパーのような都市生活をクールに描く絵描きになったのではないかと思う。

こういった画面だから俳優も画面の一部となることが要求される。立ち位置はもちろん、動き方、セリフの言い回しまで、小津監督の注文通りになるまで何度もやり直しをさせられることは、出演者のインタビューでよく読むところである。俳優の個性がなくなっているわけでは決してないが、映画では小津監督の駒のひとつとして“枠組み”の中で演技することが求められていたようだ。

しかしそんな小津映画の中で、“枠組み”からはみ出すほど魅力を発散した女優が僕には一人いるのである。それが今回とりあげた『秋刀魚の味』でヒロインの路子を演じる岩下志麻だ。

ただ映画は『秋刀魚の味』ではない。その2年前に制作された『秋日和』(昭和35年)という映画でだ。『秋日和』は岩下志麻の小津映画デビュー作だった。そのなかで岩下志麻が演じる事務員が、主人公の会社役員の部屋に行く場面(小津映画でよくあるシーン)で、僕は「うわ、綺麗な人。これは誰だ?」と身を乗り出したのである。

原節子でさえ小津映画の“枠組み”で観ている僕が端役に心奪われたことは事件だった。あとで調べたら、その事務員こそ、松竹で女優を始めて間もない岩下志麻だった。こんなところに岩下志麻が出ていたのかと驚いた。

おそらく小津監督は岩下志麻に目をつけて『秋日和』でテストしてみたのだろう。僕が感じた感想と、巨匠の感想が同じ次元とは思えないが、小津監督も何かを感じたに違いない。こうして岩下志麻は2年後の『秋刀魚の味』でヒロインの路子役に大抜擢された。

岩下志麻がインタビューに答えた『美しく、狂おしく 岩下志麻の女優道』(文藝春秋)という本を読むと、『秋刀魚の味』ではアイロンの動かし方ひとつでも何度も稽古したことが語られていて、小津監督の厳しさが伝わる。アドリブは許されず、それでいて自然体の演技が要求されるのだから女優も大変だと思う。

なかでも路子が失恋をした直後、悲しみにくれながら机の上で巻尺をもて遊ぶシーンは大変だったようだ。悲しい時に悲しい顔をしても悲しさは伝わらない、というようなことを小津監督に言われて何度もやり直したらしい。

路子は泣くでもなく、ただ巻尺を手で巻いたりほどいたりしている。そこに父親役の笠智衆が

「下へ来ないか? お茶でも飲もうよ」

と声をかける(本によれば、笠智衆は自然体の演技ですぐにOKが出たとか)。

哀愁のある音楽を重ねてあるものの、小津監督は感情を引きづらない。それが逆に余韻を感じさせる。小津映画の真骨頂である。

岩下志麻は小津映画のヒロイン役を務めてきた原節子や司葉子とくらべると、ちょっと気が強い雰囲気があってそこが魅力だ。小津もそこを買っていたのだろう。岩下志麻を起用して『大根と人参』という映画を次に作ろうとしていたらしいが、残念ながら監督の死によってそれはかなわぬものになった。残念である(1965年に別の監督で映画化)。

小津と岩下志麻の共演が果たせなかったのは残念であるが、残された映画ファンはその後の岩下志麻の活躍が救いとなった。『秋刀魚の味』の路子とは全然違う役柄で、数多くの映画に出演してきたので、それはサライ読者の方ならご存知だろう。

ちょうど池袋の新文芸坐で1月20日より、今回の『秋刀魚の味』を含む岩下志麻の映画特集が上映される。よかったらご覧になってみてください。

新文芸坐 1/20(日)〜29(火)
『美しく、狂おしく 岩下志麻の女優道』刊行記念 清純、華麗、妖艶 デビュー60年 女優・岩下志麻 さまざまな貌で魅せる

【今日の面白すぎる日本映画】
『秋刀魚の味』
製作年:1962年
製作・配給:松竹
カラー/113分
キャスト/ 岩下志麻、笠智衆、佐田啓二、岡田茉莉子、中村伸郎、東野英治郎、
北竜二、ほか

スタッフ/監督:小津安二郎 脚本:野田高梧、小津安二郎 音楽:斎藤高順

文・絵/牧野良幸
1958年 愛知県岡崎市生まれ。イラストレーター、版画家。音楽や映画のイラストエッセイも手がける。著書に『僕の音盤青春記』『オーディオ小僧のいい音おかわり』(音楽出版社)などがある。ホームページ http://mackie.jp

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