文・絵/牧野良幸
今年のNHK大河ドラマは『光る君へ』だ。『源氏物語』の作者、紫式部の生涯を描く。
『源氏物語』はかねがね読みたいと思っていた。しかし『源氏物語』を読むのはたやすいことではなかった。現代語訳の本でさえページは進まず、かといってCDで朗読を聴いても耳に入らず。あきらめかけていたところ、今年の大河ドラマが紫式部ということで、これをキッカケに『源氏物語』に親しめるよう努力したいと思っている。
こう書くと、“おいおい、去年熱心だった徳川家康はもういいのかよ?”という声が聞こえて来そうなので、ご報告しておきます。
昨年は『どうする家康』を見たり家康の本を読んだ。関連する映画もここに取り上げた。そのおかげで家康にずいぶん詳しくなった。1年前は家康について何も知らなかった僕が、今では書店で戦国時代の本を見ても「石田三成? この人はこれこれこうで家康と戦った武将」などとスムーズに理解できるのだから驚く。“プチ快感”である。今後も家康のチェックはするけれども、とりあえずは満足している。
ということで今年は紫式部。この連載も大河ドラマに関係した映画から始めたい。
取り上げるのは1966年の映画『源氏物語』だ。監督と脚本は『黒い雪』などの問題作で知られる武智鉄二。出演者にも監督となじみの俳優が名を連ねる。
映画は原作と違って、年齢を重ねた光源氏(花ノ本寿)が太政大臣になり、栄華を極めたところから始まる。
しかし新しく迎えた妻・三の宮(柏美紗)が産んだのは、親友の頭中将(とうのちゅうじょう・和田浩治)の息子・柏木との間に生まれた子だったのだ。光源氏と言えば女たらしのはずが、映画ではいきなり寝取られ男である。
光源氏は驚きつつも「そういえば私も昔、義母と関係を持って子が生まれたことがあった……」としみじみ考える(その子が冷泉帝となり、今の光源氏の栄華がある)。
映画ではここから光源氏の回想が始まり、若き日の女性遍歴が描かれるという趣向。武智鉄二監督の工夫がうかがえる脚本である。
回想での光源氏は「光る君」と呼ばれる美しい青年である。顔立ちも優美ならナレーションでの語り口も優美で、いかにも平安貴族らしい。
登場する女性をあげていこう。いずれもキャラが立っていて、これだけでも原作『源氏物語』の面白さが伝わる。
まず父・桐壷帝(花川蝶十郎)の妻である藤壷(芦川いづみ)。この美しい義母に幼い光源氏は思慕をよせる。藤壺はこのあとも女性遍歴を重ねる光源氏の憧れとなるのだが、いったん置いておこう。
時は流れ、光源氏は成長し、葵の上(香月美奈子)という正妻を持つ。が、満たされない。そこで空蝉(うつせみ・松井康子)という人妻の寝所に入っていく。抵抗する空蝉。
「おゆるしくださいませ、私も人の妻です」
「私も光源氏、宮中ではどんな女にも、拒まれたことがありません」
「宮中は知りませぬが、女には女の心がありまする」
「その女の心を知りたい」
ああ言えばこう言うで、光源氏は誠心誠意、自分の気持ちを伝えていくのみである。ガツガツしていない。最後は光源氏が空蝉の体に重なるところでカット。
空蝉の場面は武智鉄二監督らしいエロスがある。入浴では衣一枚の上から下女に湯をかけてもらうと、後ろ向きの裸体がちょっと浮き彫りになる。
また空蝉と義娘の軒端萩(のきばのおぎ・紅千登世)が囲碁をしている場面では、暑がる軒端萩が胸元をそっとあけていく。もちろんそれ以上の露出はないのだが、現代人の目には逆にドキドキしてしまうシーンだ。その軒端萩とも光源氏は関係を持ってしまうのだが。
六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ・川口秀子)は光源氏の愛人だ。歳上である。六条御息所は光源氏の妻・葵の上との牛車の場所の取り合いで、車を壊され恥をかかされる。恨み深い六条御息所は生霊となって葵の上を呪い、葵の上は光源氏の子を産むと死んでしまう。
光源氏があわてて六条御息所のところに向かうと、六条御息所は、
「うつらうつら、しておりました」
と自分のしでかしたことに気づいていない。
六条御息所はほかにも、光源氏の養女の紫の上(浅丘ルリ子)に取り憑いてあらわれ、光源氏を驚かせる。ちょっとオカルトっぽいシーンで、最初は何事かとびっくりしてしまった。平安時代は奇々怪界である。
夕顔(北条きく子)は献身的な女で、光源氏は夕顔といると心が落ち着いた。が、二人が別荘で過ごしていると、夕顔は物の怪に呪われて死んでしまう。六条御息所の生き霊のシーンもそうだったが、映像がいかにも「昭和の特撮」で、どこか懐かしい。
最初にあげた憧れの女性、義母・藤壺もここで書いておこう。空蝉の拒絶や夕顔の死のショックが、光源氏を藤壺に向けたのだ。
光源氏は藤壺の屋敷へ行き、外から侍女に声をかける。侍女に手引きをしてもらうためだ。
このシーンは上から捉えたカメラアングルで、まるで『源氏物語絵巻』の絵のような構図である。今はCGでどんな映像もできてしまうけれども、こういうアナログな工夫の方がよほどイマジネーションをかき立て「いとおかし」である。
光源氏と藤壺はこの時一度だけ関係を結ぶが、子どもができてしまう。藤壺の夫であり、光源氏の父である桐壷帝は、自分の子ができたと喜ぶが、それが光源氏にはつらかった…………。
こうして映画は現在の光源氏のシーンに戻る。
今自分が抱いているこの子は、妻・三の宮と柏木との間にできた子であろう。これも私がしてきたことの因果応報かもしれぬ。
結局、藤壺も六条御息所も光源氏から離れていった。また光源氏が実質の妻として愛していたヒロイン紫の上も亡くなってしまう。
光源氏というと、あらゆる女性を手中にしたプレイボーイと思っていたけれど、女から拒絶されたり亡くしたり、また人生のどん底も味わってきた男とこの映画でよくわかった。なんだか好きになれそうである。
映画では女性遍歴のほかにも、友人の頭中将たちと女性談義をする「雨夜の品定め」や、光源氏が朱雀帝の妻・朧月夜(おぼろづきよ・八代真矢子)に手を出して、須磨に流される話、その時にあらわれる父・桐壷帝の霊の話などが挿入されている。『源氏物語』への入門、または『光る君へ』の放送の合間の楽しみとして見てはいかがか。
ちなみに映画『源氏物語』は紫の上の死までで構成されている。紫式部の書いた『源氏物語』では光源氏の亡くなった後、光源氏の子が主人公の話もあり、それを題材にした映画もある。他にも『源氏物語』を題材にした映画は多い。機会があればまた取り上げてみたい。
【今日の面白すぎる日本映画】
『源氏物語』
1966年
上映時間:111分
脚本・監督:武智鉄二
出演:花ノ本寿、浅丘ルリ子、芦川いづみ、川口秀子、和田浩治、中村孝雄、花川蝶十郎、ほか
音楽:芝祐久
文・絵/牧野良幸
1958年 愛知県岡崎市生まれ。イラストレーター、版画家。音楽や映画のイラストエッセイも手がける。著書に『僕の音盤青春記』 『少年マッキー 僕の昭和少年記 1958-1970』、『オーディオ小僧のアナログ放浪記』などがある。ホームページ http://mackie.jp