文・写真/柳沢有紀夫(海外書き人クラブ/オーストラリア在住ライター)
岸壁には常に新しい波が打ち寄せる。
今回の物語の舞台となる港町も歴史とともに次々にその表情を変えてきた。その名はビシュノー。英語のつづりはBichenoだ。それに引きずられてかこの地を知らない多くのオーストラリア人たちも「ビチェノ」と誤って発音する。そして残念ながらタスマニア島に住む人たち以外には、同島東岸にあるこの町のことはほとんど知られていない。いまはまだ。
そんな「知られざる港町」の最初の産業は19世紀初頭のアザラシ猟とクジラ漁。19世紀中ごろには石炭が採掘されるようになり、輸送のためのトロッコ列車までが走ったという。
その後、ロブスター猟やカニ漁をはじめとする漁業が盛んとなる。ところが1972年にこの港町を襲った嵐で4艘の漁船が沈み、11艘がダメージを受けてから漁業は衰退気味となった。今ではウォーブス港を母港とするのはロブスター猟を生業とする3艘のみだ。
時を経て21世紀。この町は別の顔で知られている。夏になると長期休暇を過ごす人たちが別荘または貸別荘に集い、にぎわいを見せる。釣りやマリンスポーツが楽しめ、潮吹き穴(岩の割れ目から波が垂直方向に噴き出る穴)という観光名所もある。そして夜には海から陸上の巣穴に戻るペンギンたちのヨチヨチ歩きを眺められる「ペンギンパレード」見学ツアーが開かれる。
だが宴は毎年寒さの訪れとともに終わりを告げる。冬になれば2021年の人口統計ではわずか1049名のみが暮らすいわば寒村だ。
州都ホバートから車で2時間半、第2の都市ローンセストンからも2時間。休暇を過ごすにはいい距離だが、通勤にはもちろん不向きだ。
この歴史とともに目まぐるしく姿を変えてきた小さな村に、また新たな産業が生まれたのは2017年のこと。他の蒸留所で蒸留責任者や製造責任者を務めてきたロバート氏を含むポルメア3兄弟が「完璧な場所で、最高の道具を用いて、ベストと思える方法でウイスキーを作るとしたらどういうふうにする?」という命題から、新たな蒸留所立ち上げを決意したのだ。
設立場所として選ばれたのが、ビシュノーの町外れにあるウォーブス港の岸壁に建つかつての牡蠣の孵化場だ。タスマニア島の2大都市から2時間以上離れた町の、そのまた東の外れ。さらにいえばウイスキーのふるさとスコットランドからは約1万7000キロも離れたウイスキーづくりにとっては「僻地」と思われるような場所。だがその気候は驚くほどスコットランドに似ている。
海のそばであることも決して不利には働くことはない。事実スコットランドにも、淡路島くらいの大きさだが「スコッチウイスキーの聖地」とも称される「アイラ島」があるではないか。潮風と波の音は樽の中のウイスキー原酒たちに、心地よい眠りを提供してくれる。
港の名前をそのまま取った「ウォーブスハーバー蒸留所」が初めて3種類のシングルモルトウイスキーを販売開始したのは、設立から6年目の2023年4月19日のこと。500ml入りボトルをそれぞれ445本、433本、401本販売したのだが、すぐに完売。この原稿を書いている5月9日現在売られているのは5月4日にリリースされた第2弾だ。
「ウォーブスオリジナル」はアメリカンバーボン樽で熟成させた原酒を中心に、トゥニーポート(ポートワインの一種)樽のものでバランスを取った一品。製造数は414本(500ml)で170豪ドル(約1万5500円)。アルコール度数は43%。
「ポートストーム」は逆にトゥニーポート(ポートワインの一種)樽の原酒約8割に、アメリカンバーボン樽のもの約2割を加えたものだ。製造数は380本(500ml)で190豪ドル(約1万7300円)。アルコール度数は48%。
そして「ウォーブスハーバー蒸留所」のフラッグシップ的存在とも言えるのが「ファウンダーズリザーブ」。最高品質のトゥニーポート樽の原酒のみを使用。製造数は370本(500ml)で220豪ドル(約2万100円)。アルコール度数は62%。
「ウォーブスハーバー蒸留所」ではこれらの3種類のシングルモルトウイスキーの「試飲」(約30分。40豪ドル=約3650円)や、「蒸留所見学と試飲」(約75分。70豪ドル=約6380円)を開催している。
試飲を担当するセラードアマネージャーのトーマス・エトガス氏によると、最もベーシックな「ウォーブスオリジナル」は「塩味のトフィー(塩キャラメル風のキャンディー)と干しブドウの風味」。私も確かに、熟成年数が短いにも関わらず意外とやわらかだと感じた。
一方「ポートストーム」は「茹でた洋梨、干しブドウ、ブラウンシュガーシロップ、カスタードクリームなどがまじりあう風味」と説明されたが、まろやかさの中に意外な力強さを感じた。
大御所的な存在の「ファウンダーズリザーブ」は「ポートワイン風の気品のある薫香の中に、かすかなチョコレートの香り、そして塩キャラメルの長い残り香」。確かに複雑だがバランスがとれていて、重厚だが重すぎない。
大小合わせた樽の数約700の少量生産。そしてその樽での熟成を要するというウイスキーという酒の性(さが)で急激な増産はできず、図らずもオーストラリア国内のみでの販売という「門外不出」状態となっている。
「でもいずれは世界に名をはせるようになりたいですね。ジャパニーズウイスキーのように」とエトガス氏。港町の小さな蒸留所の大航海は、まだ始まったばかりだ。
ウォーブスハーバー蒸留所(Waubs Harbour Distillery)
42 Waubs Esplanade, Bicheno, Tasmania 7215 AUSTRALIA
https://waubsharbourwhisky.com/
試飲ツアーなどの日時はホームページ参照のこと。
文・写真/柳沢有紀夫 (オーストリラア在住ライター)
文筆家。慶応義塾大学文学部人間科学専攻卒。1999年にオーストラリア・ブリスベンに子育て移住。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」(https://www.kaigaikakibito.com/)の創設者兼お世話係。『値段から世界が見える!』(朝日新書)、『ニッポン人はホントに「世界の嫌われ者」なのか?』(新潮文庫)、『世界ノ怖イ話』(角川つばさ文庫)など同会のメンバーの協力を仰いだ著作も多数。