ライターI(以下I):元仁元年(1224)に北条義時(演・小栗旬)が亡くなった後、妻伊賀の方(演・菊地凛子)が生んだ政村(演・新原泰佑)を執権に、将軍には一条実雅を擁立するという陰謀が勃発しました。
編集者A(以下A):義時の時代だったら、謀反の咎で関係者の粛清は避けられなかったかもしれません。ところが、関係者の配流はあったものの、政村にはまったくお咎めがなかったわけです。尼将軍政子(演・小池栄子)と義時嫡男泰時(演・坂口健太郎)による治世では、義時時代のような「単純な粛清はしない」という意志表明だったのかもしれません。まさに「新時代!」。
I:政村の乳母父の三浦義村(演・山本耕史)も罰を受けるどころか、御家人NO.2の地位を確固たるものにしていくんですよね。やがて、尼将軍政子が亡くなると、三浦義村は、北条泰時、時房(演・瀬戸康史)、朝時(演・西本たける)らに継ぐ地位として『吾妻鏡』に頻繁に登場することになるってびっくりです。
A:安貞2年(1228)には将軍頼経が義村の別邸を訪問します。泰時、時房を始め、重時、政村、有時、実泰など義時の息子たちや、多くの御家人も随行します。翌年の2月には、頼家の娘で政子の後継者と目されていた竹御所(たけのごしょ)と泰時の妻(義村の娘の矢部禅尼、ドラマでは初/演・福地桃子)が義村の本拠でもある三崎に遊びに訪れています。
I:まさに義村、我が世の春を謳歌している印象です。義時、政子が亡くなり、義村と対峙する北条家の面々は泰時や時房。義村にとっては御しやすい相手だったのでしょう。
A:確かに義村の我が世の春といっていい年でしたが、一方で悲報もありました。義村の嫡男泰村に嫁いでいた泰時の娘がいたのですが、安貞2年の1月に子どもを死産してしまいます。
I:もし、北条と三浦の間にできた子が亡くなっていなければ、三浦の運命も違ったものになったかもしれないですね。
義村の死、泰時の死。そして三浦家滅亡の時がくる
A:死産があったとはいえ、『吾妻鏡』を見る限り、北条家と三浦家は、頼家の娘竹御所も含めて、仲良くしている印象です。さらに寛喜元年(1229)9月には、将軍頼経を森戸海岸(葉山町)に迎えます。この時も時房、泰時ら北条家の面々や多くの御家人が随行しています。『吾妻鏡』には、〈駿河前司 喜悦の顏色を顯すと云々〉と記されています。
I:「駿河前司」というのが義村ですね。大喜びの様子が頭に浮かびますね。ところで、この『吾妻鏡』の記事には、随行した兵の中に武田信玄の先祖にあたる武田(一条)信長の名前がありますね。なんだか感慨深いです。
【なぜ三浦一族は族滅に至ったのか。次ページに続きます】