文/池上信次
ここのところジャズ映像作品の紹介を続けていますが、その一番の理由は「観ると聞くとは大違い」だから。ジャズの映像作品が作られるようになったのは、家庭用ビデオが普及した1980年代半ばからですが、それ以前の映像作品の媒体は映画とテレビでした。しかし映画は少なく、ジャズ番組のテレビ放送は1960年代から世界中であったようですが、その時限りのものがほとんど。そんな中で、きちんとマスターが残されたジャズのテレビ番組シリーズがあります。
その番組はイギリスBBC制作の『JAZZ 625』。1964年から66年に放送されたジャズのスタジオ・ライヴ番組で、おもにイギリスに来たアメリカのジャズ・ミュージシャンが出演しました。その数は30組以上に及び、イギリスでの収録ですから、当地にツアーするほどのビッグネーム揃い。番組名の「625」は、ブラウン管の走査線の数のこと。当時のイギリスの一般的なテレビ放送は走査線405本のVHF放送(BBC)ですが、こちらは625本のUHF放送(BBC2)で放映されました。高画質が自慢の番組だったのです(もちろんモノクロですが)。そのためかカメラ・ワークも秀逸で、テレビ・ショーを超えた、まさに映像作品といえるクオリティでした。当時のテレビ放送はビデオテープで収録・製作され、テープを使い回すために放送後は消去されてしまうのですが、BBCは歴史的に貴重な記録になると認識していたのでしょう、番組は35ミリフィルムに記録されて残されました。もちろん、残っているだけでは当然一般には観ることができないのですが、これが94年に商品化されたのです(当時はLDとVHS。その後一部DVD化)。
ラインナップは、セロニアス・モンク・カルテット 、ウェス・モンゴメリー・カルテット、アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ 、エロール・ガーナー、ベン・ウェブスター、エロール・ガーナー、オスカー・ピーターソン・トリオ、アート・ファーマー・カルテット、キャノンボール・アダレイ・セクステット、モダン・ジャズ・カルテット 、ディジー・ガレスピーなど。当時のシーンの中心者たちばかりのすごい顔ぶれです。
初発売時には大きな話題になりました(当時はまだ商品の値段も高かったですね。映像作品が広まらないのはそのせいもあったかもしれません)が、今観てもやっぱりすごいものはすごいのです。なかでも特にお勧めはウェス・モンゴメリー・カルテットの回。ウェスは1965年3月からヨーロッパ・ツアーを敢行、イタリア、スイス、スペインと回ったあとイギリスに来て、3月25日にこの番組に出演しました。
『JAZZ 625』は初めての「動くウェス」でした。ウェスがピックを使わず親指だけで弾くことは、ジャズ・ファンならよく知るところではありますが、では実際にはどんなふうに弾いているかは、ギターを演奏している人でも音(だけ)からは想像しにくいことでしょう。親指だけでホントにあんなに速く弾けるのか? ダウン・ピッキング(上から下に一方向に弾く)だけなのかアップダウンしてるのか? 当然ながら観れば一発でわかるはずですが、観るともっと謎が深まってしまうんです。弦をはじくというより撫でているようにしか見えないのです。しかも複雑なフレーズを弾きながらガハハと笑っていたりもして、音だけでも「すごい!」のが、見ることで「ものすごい!」になってしまうのです。しかも、ごく一部ですが、人差し指で弾いているところもあるではありませんか! と何度観てもついつい熱くなってしまうほど。
理解が深まるなんていうと固いですが、映像を見たあとに聴く音(だけの作品)の印象は確実に変わります。映像作品は、いつも聴いている「名盤」をより楽しむための副読本みたいなものです。ウェスもモンクもキャノンボールもあります。彼らが好きな方なら(つまりジャズ・ファンほぼ全員ですね)、お好きなアーティストの映像作品に一度だけでも「目を通す」ことをお勧めします。ふだん聴くレコード、CDがより楽しく聴けるようになること間違いなし、です(残念ながら現在国内盤は廃盤で入手は難しいかもしれませんが、探し出す価値はありますよ)。
文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『ダン・ウーレット著 丸山京子訳/「最高の音」を探して ロン・カーターのジャズと人生』『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(ともにシンコーミュージック・エンタテイメント)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。