ハンフリー・ボガート、ジャン・ギャバン、アラン・ドロンといった名優が名画で着用したことでも知られるトレンチコート。これほど男っぽいコートはないだろう。
トレンチコートは第一次世界大戦のヨーロッパ西部戦線で、イギリス軍が採用したコートが原型だ。前線の塹壕(トレンチ)での厳しい環境から身体を守り、戦いに必要な装備が身に着けられるように考えられている。前身頃のダブルブレストのデザイン、ウェストを締めるベルト、袖口のストラップなどは実用本位で考案されたもの。このコートの男っぽさは、こうした出自によるところが大きい。
今回紹介するのはイギリスを代表するコートブランド『グレンフェル』のトレンチコートだ。同ブランドは、1908年にトーマス・ヘイソンスウェイトと、その息子ウォルターがつくった織布工場が元になっている。1922年、ウォルターは宣教師や慈善家でもあったイギリスの医師ウォルレッド・グレンフェル卿に出会う。グレンフェル卿はカナダのニューファンドランド・ラブラドール地方の開拓地に病院を設立、医療や布教活動などを行なっていた人物。自分たちが活動する地域に適した布地を長年探し求めていた。
「この地に適した布地は軽くなければいけません。人の移動は常に犬の群れの後から歩かなければならないからです。また丈夫さも必要。野外では生命が服に左右されます。雨や雪から身を守るための防水性や体温を保つために防風性も重要です。そして何よりも通気性がなくてはなりません」とグレンフェル卿は語ったという。
彼の言葉に感銘を受けてウォルターは高機能布地の開発に乗り出す。翌’23年に完成した布地を見たグレンフェル卿はその出来栄えを絶賛し、自身の名前を冠するように進言。布地は「グレンフェル・クロス」と命名され、『グレンフェル』というブランドが誕生した。
極限でも真価を発揮する素材
「グレンフェル・クロス」は極細のエジプト綿糸を使い、熟練した職人の手で1インチ四方に600本以上の糸が緻密に織り込まれている布地だ。その緻密さが防水・防風・耐摩耗といった優れた機能性を生み出す。すぐに「グレンフェル・クロス」は多くの冒険家や探検家にも使われるようになり、エベレストやキリマンジャロ登頂、太西洋横断といった数々の歴史的な場面に立ち会い、その機能を充分に発揮した。
グレンフェル卿が最初に挙げた条件は軽さだったが、これもこの布地の大きな特徴。コートに仕立てても軽やかな着心地を味わえる。重ね着にも向いていて、ソフトな風合いは着込むほどに身体に馴染む。トレンチコートはビジネス向きの印象が強いが、普段づかいにも適している。とても“使い出”がある万能の一着だ。
文/小暮昌弘(こぐれ・まさひろ) 昭和32年生まれ。法政大学卒業。婦人画報社(現・ハースト婦人画報社)で『メンズクラブ』の編集長を務めた後、フリー編集者として活動中。
撮影/稲田美嗣 スタイリング/中村知香良 撮影協力/PROPS NOW
※この記事は『サライ』本誌2022年12月号より転載しました。