ストレスなく、ほとんど力を入れずにスラスラと文字が書ける。これが万年筆の特徴だ。多くの作家や作曲家が万年筆を使う理由がここにある。加えて、使い込むほどにペン先の形状が変化し、書き癖に馴染むというのも万年筆の大きな特色だろう。このような筆記具はほかにはない。
万年筆の最高峰として世界的に知られる『モンブラン』。ドイツ・ハンブルクの文具商と銀行家、ベルリンのエンジニアの3人が、前身となる「シンプロ・フィラー・ペン・カンパニー」を設立したのがこのブランドの始まりだ。
同ブランドを代表する万年筆が1924年に発表された「マイスターシュテュック」というモデル。「マイスターシュテュック」は、ドイツ語で「傑作」という意味だ。その28年後に誕生した「149」は現在でもシリーズの頂点に君臨するモデル。「149」は、キャップ収納時の全長149mmに因んだもので、シリーズの中でも最も太軸のデザイン。キャップの先端部分「天冠」に入った白い星型のマークは、ひと目で『モンブラン』のペンとわかる。これはヨーロッパアルプス最高峰のモンブランの頂を覆う雪をイメージしている。ペン先にはそのモンブランの標高を表す「4810 」の数字の刻印が入る。黒いボディは手に馴染み、その堂々たる佇まいは“万年筆の王様”の称号にふさわしい。熟練の職人の手で100以上の工程を経て完成するもので、最後に一本一本、試し書きの検査が行なわれ、通った万年筆だけが世界に送り出されるという。「いつかは149を手に入れたい」と願う人が後を絶たない。
数多くの著名人に愛用された
ケネディ大統領、エリザベス女王、ダイアナ妃、石原裕次郎など、たくさんの有名人に『モンブラン』の万年筆は愛用されていたが、特に「149」を愛用した人物として知られているのが、釣り人としても有名な作家の開高健だ。彼が書いた『生物としての静物』(集英社刊)には「ちびちびやりつつ書くのはこの二十五年間にいつ頃からともなく身についた習慣であるが、万年筆はモンブランである。─中略─こんなに長年月いっしょに同棲すると、かわいくてならない。かわいいというよりは手の指の一本になってしまっている」と書かれている。そうとうな溺愛ぶりだが、数々の名作を生んだ相棒だったのだろう。同書には『モンブラン』を含めて内外のいろいろな万年筆を試した上で、残ったのはこの一本だけとも書かれている。彼が愛用した中字用の「149」を求める開高ファンも多いと聞く。
彼のような名文家でなくても、頭で構築された言葉が“手書き”でしたためられたとき、それは単なる文字を超えた創造性を持つ。デジタル化された現代だからこそ、その価値は小さくない。
文/小暮昌弘(こぐれ・まさひろ) 昭和32年生まれ。法政大学卒業。婦人画報社(現・ハースト婦人画報社)で『メンズクラブ』の編集長を務めた後、フリー編集者として活動中。
撮影/稲田美嗣 スタイリング/中村知香良
※この記事は『サライ』本誌2022年2月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです。