前回(https://serai.jp/hobby/1036539)に続いて、「ジャズ・スタンダードのオリジナル・ヴァージョンを聴いてみる」企画。今回の題材は「ユー・ドント・ノウ・ホワット・ラヴ・イズ」。ドン・レイ作詞、ジーン・デポール作曲。ジャズ・バラードの「超」スタンダードといえる曲で、マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、ソニー・ロリンズ、エリック・ドルフィー、ビリー・ホリデイ、チェット・ベイカー、キース・ジャレットなどなど、インスト、ヴォーカル、新旧問わず名演はたいへん多く残されています。

エリック・ドルフィー『ラスト・デイト』(ライムライト)
演奏:エリック・ドルフィー(フルート)、ミシャ・メンゲルベルク(ピアノ)、ジャック・ショールス(ベース)、ハン・ベニンク(ドラムス)
録音:1964年6月2日
「ユー・ドント・ノウ〜」の名演は数々ありますが、これは絶対に聴いておきたいところ。オランダでの録音。ドルフィーはこの録音の約1か月後の6月29日に死去してしまったことがアルバム・タイトルの由来。36歳の若さでした。

邦題は、「あなたは恋を知らない」「恋の味をご存知ないのね」などいくつかありますが、まあ重めのラヴソングのイメージですよね。そして、そのオリジナルは? とググってみると、……これがびっくり、というかだからこそ取り上げてみたのですけど、なんだこれは? 「アーサー・ルービン監督、1941年11月公開のユニバーサル映画『凸凹空中の巻』(原題:Keep ‘Em Flying)のために書かれた楽曲」って、恋愛映画じゃないの?

「凸凹」とは、コメディアン・コンビ「アボット&コステロ」のこと。長身細身のバッド・アボットとその逆のルー・コステロで凸凹。彼らを主演にしたコメディ映画は1940年代から30本以上製作され、日本でも当時20本以上が公開されたほどの人気でした。『凸凹二等兵の巻』『凸凹スキー騒動』など、その邦題には、原題に関係なくアタマにすべて「凸凹」が付けられていました。

で、観てみました。『凸凹空中の巻』(以下『凸凹』)は、シリーズ4作目。陸軍の航空学校を舞台にした、ドタバタあり、ミュージカル・シーンあり、さらに特撮までありの賑やかな物語。劇中ではシンガーのキャロル・ブルースがステージで歌うシーンがあり、そこで歌われていたのが「ユー・ドント・ノウ〜」……ではなく、「アイム・ゲッティン・センチメンタル・オーヴァー・ユー」でした。この曲もジャズ・スタンダードで、当時すでにヒット曲として知られていた時期ですね。では、新曲の「ユー・ドント・ノウ〜」はどこで出てくるのかと待っていると……The End。劇中演奏もバックグラウンド・ミュージックにもありません。オープニング・クレジットを見直すと、劇中使用曲リストには「ユー・ドント・ノウ〜」はありませんでした。となれば、〈オリジナルは映画『凸凹』の音楽〉は間違いではないのか? ではなぜそれが定説になっているのでしょうか。さらに調べると意外な事実が見えてきました。

この曲は、映画のために書かれながらも「ボツ」になった曲だというのです。なぜ「ボツ」になったのがわかるのかというと、サウンドトラック盤(当時はシングルSP盤)がリリースされていたから。歌唱シーンが撮影されたのかは不明ですが、少なくとも録音は行われていたのですね。となれば、「ユー・ドント・ノウ〜」のオリジナルは「映画『凸凹』ために書かれた曲」ではありますが、「『凸凹』のボツ曲」あるいは「『凸凹』のサントラ盤」とすべきところでしょう。そして、この曲は翌1942年に公開された映画『Behind The Eight Ball』(エドワード・クライン監督/ユニバーサル映画)で、『凸凹』に出演したキャロル・ブルースが歌っているというのです(これは映像入手困難なためシーンは確認できず)。なぜ『凸凹』でこの曲がボツになったのか、そしてなぜキャロルは『凸凹』直後に『Behind The Eight Ball』に出演し、この曲をそこで歌ったのか。

そもそも、映画で使っていないのにサウンドトラック盤として出たというのも謎ですが、もっと謎なのはこの公開と同じ1941年に、映画とは別の会社からもキャロルによるシングル盤がリリースされていること。同年にはさらに、エラ・フィッツジェラルド、アール・ハインズ、ディック・ヘイムス&ハリー・ジェイムス・オーケストラ、ベニー・グッドマン・オーケストラ、ジャン・サヴィット&ヒズ・トップ・ハッターズが、この曲のシングル盤をリリースしていたのでした。なんと「ボツ」曲が、名だたるアーティストたちによる競作シングル曲になっていたのです。

ここからは想像です。デポールらは、映画での撮影あるいは録音を終えた時点で、この歌が「映画にはもったいないほどのいい曲」と思ったのではないでしょうか。大ヒットを狙えると考え、そこで急遽映画からは引き上げて、多くのバンドに売り込んだ、と。その結果、たくさんのレコードが出た=ヒットしたということではないでしょうか。キャロルの『Behind The Eight Ball』での出演・歌唱は、そのリカヴァーの意味もあったかと思います。

映画で使っていればもっとヒットになったかもとも思いますが、デポールらは、このシリアスなラヴソングに『凸凹』のお笑いのイメージが少しでもつくのを嫌ったのでしょう。デポールらはこれ以前から『凸凹』映画の音楽を手がけていますので、そのあたりの事情には詳しかったはず。「ユー・ドント・ノウ〜」の人気は、きっとそういった戦略あってのことではないでしょうか。「ユー・ドント・ノウ〜」は、オリジナル・アーティストのいない「いきなりスタンダード曲」といえそうです。

マイルス・デイヴィス『ウォーキン』(プレスティッジ)
演奏:マイルス・デイヴィス(トランペット)、ホレス・シルヴァー(ピアノ)、パーシー・ヒース(ベース)、ケニー・クラーク(ドラムス)
録音:1954年4月3日
マイルスにしては珍しいワン・ホーンでの演奏。「いきなりスタンダ−ド」と書きましたが、ジャズマンの間で広まるのは、このマイルスの演奏あたり、1950年代半ばからです。同時期にチェット・ベイカー、ソニー・ロリンズが名演を残しています。映画(ボツですが)から10数年後、ここにも広まるきっかけがあったはずですが、なんだったのでしょうか。

文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『ダン・ウーレット著 丸山京子訳/「最高の音」を探して ロン・カーターのジャズと人生』『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(ともにシンコーミュージック・エンタテイメント)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。

 

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