新たに見つかった松永久秀の肖像画。
(大阪府高槻市立しろあと歴史館蔵)

『麒麟がくる』では第1話から登場、吉田鋼太郎の熱演もあいまって、注目され続けてきた松永久秀。劇中では信貴山城での壮絶な最期が人々の涙を誘った。松永久秀最期の舞台となった信貴山城と新たに発見された肖像画について、かつて歴史ファンを虜にし、全盛期には10万部を超える発行部数を誇った『歴史読本』(2015年休刊)の元編集者で、歴史書籍編集プロダクション「三猿舎」代表を務める安田清人氏がリポートする。

* * *

信貴山城跡の現状

信貴山雄岳の山頂近くに建てられたもの。かつては城域の整備はされておらず、この山頂部付近以外の散策は難しかった。

奈良県平群町にある信貴山城は、戦国武将・松永久秀の居城として知られている。現在の城跡は、朝護孫子寺という広大な寺の寺域にあるため、城跡は非常に良好な状態で残っていて、歴史的な価値もきわめて高い。

文化財保護法に定める「国史跡」にふさわしい城跡だが、残念ながら、いまだ国史跡には指定されていない。城跡の中心にあたる雄岳の山頂付近に信貴山城跡を示す石碑はあるけれど、城をめぐる道も整備されてはいない。

地元のNPO法人信貴山観光協会や信貴山城址保全研究会が、城跡の保全に取り組むと同時に、観光客の誘致につなげようと、さまざまな試みをしている。

ここでは、城郭考古学を専門とする奈良大学教授・千田嘉博さんの研究に従って、城跡の概要を紹介しよう。

信貴山城の遺構を検討する

村井毅史作図の信貴山城縄張り図。中央の雄岳山頂付近の主郭から放射線状に延びる曲輪群の様子がよくわかる。北東方向に延びる尾根上に松永屋敷がある。山城の「見本市」のようだ。(平群町教育委員会提供)

現在の信貴山城跡は、大きく三つの部分に分けられる。城跡の最高地点である雄岳、ここから北側に放射線状に延びる尾根の部分、そして南側に伸びる雌岳の三部分だ。

城跡の中心となるのは雄岳で、ここは軍事的な最終拠点である「詰城」だったと推定されている。ここから北側の尾根のひとつに松永久秀の屋敷があった。堀や土塁で守られた松永屋敷は、城内でも屈指の広さと整った構造を持っていた。

ほかにも、尾根の部分には大規模な曲輪が連続していて、久秀の家臣たちの屋敷が配置されていたものと思われる。曲輪によっては、虎口(出入口)に突き出しが付属していて、攻めてくる敵を側面から射撃する「横矢」が可能となるよう設計されていた形跡も見られる。さらに曲輪の北側に空堀をめぐらせている箇所もあり、城門跡とみられる遺構も十数カ所、確認されている。

信貴山城跡は、戦国時代の山城の特徴や、時代の最先端をゆく技術を目の当たりにすることができる城跡だ。まだ発掘調査はほとんど行なわれておらず、当時の遺構はほぼ完全に残されているのは明らかで、これほど良い状態で山城の城跡が残っているのは、全国的にも珍しいと言われている。現地に足を運べば、地形を活かした広大な戦国期の拠点城郭を体感することができる。

狩野永徳が京都の姿を描いたとされる『洛中洛外図屏風』(上杉本。国宝)には、京都にあった松永久秀の屋敷が描かれている。信貴山城の松永屋敷もそうとうな規模と豪華さを誇るものだったことは想像に難くない。

城跡と久秀の人物像

信貴山城は、南北朝時代の楠木正成が築城したという伝承が残っている。そして、戦国時代に木沢長政という武将が本格的な城郭とし、さらに松永久秀が、現在みられる規模に整備したとされている。山頂には天守の初期形態と思われる高櫓があったともいわれているが、考古学的な調査が入っていないため、いずれも確かなことはわかっていない。

松永久秀については、その「悪行」とされてきた「主君の暗殺」「将軍の殺害」「東大寺大仏殿の焼き討ち」が、いずれも「冤罪」であったことが、天理大学准教授の天野忠幸さんらの研究で明らかになってきている。信貴山城の調査研究が進めば、久秀の新たな人物像が明らかになっていくかもしれない。

新たに発見された肖像画から何がわかるか

松永久秀の従来のイメージは、研究の進展によって覆されてきた。久秀の「再評価」にさらに拍車をかけるような発見が、昨年(2020年)3月にあった。50~60代ごろの久秀を描いたとされる肖像画が見つかったのだ。

大阪府高槻市の市立しろあと歴史館の発表によると、2019年の1月、高槻市が東京の古美術商から購入したもので、縦109㎝、横44㎝の掛け軸状の肖像画だという。肖像の上部には、「天正五丁丑年冬十月十日薨 妙久寺殿祐雪大居士 尊儀」と、久秀の命日と戒名が記されている。

絵をつぶさに見てゆくと、直垂を着て烏帽子をかぶる堂々たる武家の姿で描かれていて、腰に差した腰刀には、将軍足利義輝から使用を許された「桐紋」が意匠として描かれている。

かつて久秀は、義輝を殺害した「犯人」だとされてきた。この肖像画を描かせたのは、江戸時代のおそらく久秀の子孫などだろうが、彼らは久秀を下剋上の権化ではなく、将軍の権威を重んじる人物だったということを、この桐紋でアピールしようとしたのかもしれない。

人物の手前には、茶道具を入れたとみられる金糸を織り込んだ袋のようなものが描かれている。これも、「平蜘蛛」「付藻茄子」といった優れた茶器を愛し、多聞山城に茶室を儲けて千利休を招いたともいわれる久秀の人物像を投影した表現だろう。

これまでに知られていた久秀の肖像といえば、いかにも下剋上の悪人然として姿ばかりだった。この肖像画の発見により、堂々たる武将であり、文化人でもあった久秀の実像に、わずかながらも近づけたような気がする。

『麒麟がくる』では、光秀(演・長谷川博己)に平蜘蛛の茶釜を託して壮絶な最期を遂げた松永久秀(演・吉田鋼太郎)。

安田清人/1968年、福島県生まれ。明治大学文学部史学地理学科で日本中世史を専攻。月刊『歴史読本』(新人物往来社)などの編集に携わり、現在は「三猿舎」代表。歴史関連編集・執筆・監修などを手掛けている。 北条義時研究の第一人者山本みなみさんの『史伝 北条義時』(小学館刊)をプロデュース。

 

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