前回まで、同じ音源なのに違うジャケットや違うタイトルといったアルバムを紹介してきましたが、今回はその極め付きともいえるようなアルバムを紹介します。
ピアニストのセシル・テイラーは、1958年に『ハード・ドライヴィング・ジャズ』というアルバムを録音、59年にリリースしました。のちにフリー・ジャズ推進のリーダー格のひとりとなるテイラーですが、この時期はまだまだ「枠」のある音楽をプレイしていました。共演者もハード・バップの実力者たち。とはいえテイラーのゴツゴツとしたプレイは十分異彩を放っており、まさに「ハード・ドライヴィング」なジャズを展開していました。
そしてもう1枚、同じジャケットのアルバムが存在します。
タイトルは『ステレオ・ドライヴ』。発売は『ハード・ドライヴィング・ジャズ』と同時です。そしてメンバーも録音日も同じでタイトル違い。となれば、同じセッションで2枚のアルバムを作ったと思うのがふつうですよね。しかし、じつは演奏はまったく同じです。違いは『ハード・ドライヴィング・ジャズ』がモノラル録音で、『ステレオ・ドライヴ』がステレオ録音というところ。このアルバムの時期のLPの多くは、モノラルとステレオが両方同時発売されていましたが、当然ながらタイトルもジャケットも同じです。時代的にはまだまだモノラルが優勢でしたので、新しい「ステレオ」を売るために強調したかったのかもしれませんが、タイトルを変えてしまうとは……。
さて、ここに参加しているブルー・トレインという名のテナー・サックス奏者が気になっているかと思いますが、これ、明らかに偽名というか変名ですよね。でも、この人の演奏は素晴らしいのです。アルバムを聴いていただければすぐにわかるのですが、というかブルー・トレインといえば、それだけでもうあの人だとわかりますよね。もう少しひねってもよさそうなものですが。はい、ジョン・コルトレーンなのでした。偽名・変名は契約違反逃れの常套手段ですが、もっとも個性的なテナー・サックス奏者のひとりであるコルトレーンですから、音を聴けば隠そうにも隠しきれないですよね。
録音当時、コルトレーンはプレスティッジ・レコードの専属アーティストでした。マイルス・デイヴィスのグループでも大活躍し、多くのアルバムをプレスティッジからリリースしていました(ちなみにブルーノート・レコードで1957年に録音した『ブルー・トレイン』は、プレスティッジの許諾を得たもの)。そして『ハード・ドライヴィング・ジャズ』が発表された59年には、メジャーのアトランティック・レコードに移籍し、翌60年に『ジャイアント・ステップス』を、61年には『マイ・フェイヴァリット・シングス』を発表という、怒涛の活動を展開していたのです。ですから、おそらく発売当初から「ブルー・トレイン」という変名は、まったく意味をなしていなかったと思われます。
契約違反逃れのままでいれば「しめしめ」ですが、しかしユナイテッド・アーティスツは違いました(本体は大手映画会社ゆえ?)。62年に、なんとアルバム・タイトルを『コルトレーン・タイム』とし、コルトレーンの写真をどどーんと使ったジャケットに変えてリリースしたのです。このころにはテイラーも独自のスタイルを確立しており、「コルトレーンとテイラーの共演」は、大きく注目されることになったのでした。
というわけで、『ハード・ドライヴィング・ジャズ』、『ステレオ・ドライヴ』、『コルトレーン・タイム』という3つのアルバムの演奏の中味はまったく同じで、コルトレーンとテイラーの共演は1回だけです。くれぐれも、セシル・テイラーとコルトレーンの共演アルバムは、いくつもあると誤解なさらないように。リーダーだったテイラーはどう思っていたのかな。
文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『ダン・ウーレット著 丸山京子訳/「最高の音」を探して ロン・カーターのジャズと人生』『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(ともにシンコーミュージック・エンタテイメント)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。