今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「それでもな、この写真は見えるんじゃ。な、ほら、まん中のこれが先生じゃろ、その前にうらと竹一と仁太が並んどる。先生の右のこれがマアちゃんで、こっちが富士子じゃ。マッちゃんが左の小指を一本にぎり残して、手をくんどる」
--壺井栄

瀬戸内の海べりの一寒村を舞台に、新任の女性教師・大石先生と12人の教え子たちとのふれあいを描きながら、戦争の悲惨さを訴えた壺井栄の名作『二十四の瞳』。

上に掲げたのはその終幕近く。第2次世界大戦の終戦後、連絡のついた者たちが久しぶりに大石先生を囲んで集い、戦地で負傷し失明した教え子の磯吉が、小学校の頃、皆で撮影した記念写真を前に、「今でもこの写真だけは見える」と、指さしながら語っていく台詞である。

何度も見返した思い出の写真だけに、磯吉は確信に満ちて、並んでいる級友のひとりひとりを、人さし指でおさえて見せるのだが、それは少しずつずれている。胸がつまり相槌の打てない級友にかわって大石先生が、「そう、そう、そうだわ」と答えていく。明るい声で息を合わせている先生の頬を、涙がつたっていく。

なんとも切ないシーンである。

壺井栄は明治32年(1899)小豆島で生まれ、地元の小学校卒業後、貧しい家計を支えて村の郵便局や役場で働いた。上京して詩人の壺井繁治と結婚し、宮本百合子や佐多稲子の影響で小説を書き始めたという。

淡泊かつ清楚な性格で、きらびやかな絹より質朴な木綿を好む。島の郵便局員時代は、母の手織りの絣の着物と紺の袴姿で通した。だが同時に、独得の髪形を考案して村娘の流行をリードするお洒落な一面も合わせ持っていた。

あるとき、喉を傷めた壺井栄が思案の末に白い繃帯を首に巻いた。それを見た周囲の娘たちは、最新のファッションと勘違いして真似をした。そんな中国・漢代の「折角」の故事に似たエピソードも残っている。

『二十四の瞳』の物語中、颯爽と潮風を切って自転車で岬の分教場に通う大石先生には、きっと作者自身の姿も映し込まれていたのではないだろうか。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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