夕刊サライは本誌では読めないプレミアムエッセイを、月~金の毎夕17:00に更新しています。木曜日は「旅行」をテーマに、パラダイス山元さんが執筆します。
文/パラダイス山元(ミュージシャン・エッセイスト)
パスポートを取得して初の海外はデンマークでした。さらに、20年以上毎年欠かさず渡航している国がデンマーク。グリーンランド国際サンタクロース協会のボランティアや、毎年7月に首都コペンハーゲンで開催される「世界サンタクロース会議」出席など、私の人生において、デンマーク渡航は、もはや義務化しています。
デンマークは、大きく分けてコペンハーゲンを含むシュラン島と、アンデルセンの故郷オーデンセがあるフュン島、レゴランドが有名なビルンがあるヨーロッパ大陸の北端ユトランド半島と、三つに分かれています。
面積が一番広いのは、ドイツと陸続きで接するユトランド半島。先日、サンタクロースのイベントに招かれ初めて訪れたフレゼリクスハウン(第5回参照)など、半島にはこじんまりしたかわいい街が点在しています。街以外は、農地、牧草地のなだらかな丘陵地帯です。北海道の道東と若干風景が被ります。
↓ユトランド半島にある風力発電用の風車の工場から、羽根を陸送している光景にも遭遇しました。スケールが半端ないです。これが、さらに船積みされて日本にまで届くとはブラボーです。
この歳になって、離れ小島とか、岬など、ちょっと行きにくいというか、相当難易度の高いところへの興味が湧いてきて、SNSでそういう楽しそうな情報に触れてしまうと、いつ青ヶ島(東京都)へ行ってやろうかとか、野付半島(北海道)の突端まで行ったろうか(実施済み)など、旅の妄想が炸裂しまくっているのは病気に近いです。
ユトランド半島の突端、ヨーロッパ大陸の最北の街、スエーケン。
日本でも人気な腕時計 SKAGEN(スカーゲン)。この綴りでデンマーク発音になると、スエーケンです。
この街からインスパイアされ、SKAGEN ブランドが誕生したということもあり、カーデザイナーでインダストリアルデザインウオッチャーの私としては、早いうちに訪れたいと思いながらも、気がつけば20年以上も経過していました。
この街には、私の後輩サンタさん家族が住んでいます。彼が過去に5回訪日し、我が家を訪問しているというのに、私が一度も訪れていないという引け目がありました。それは、なんとしても「行かねばの娘」(ボサノヴァの名曲「イパネマの娘」ご存じですよね?)。
街に着くなり食料の確保をしに、スーパーに入ったところ、後輩サンタさんの子どもがレジでお仕事しているではないですか。
「なんでパラダイスがここに!」
目を丸くして驚いていました。それは、私もです。生まれた時から、ずーっと彼の成長を見続けてきているのですから、一人前の大人になりかけている姿には感慨深いものがありました。
「これからどこへ?」
「グレーネンか、あなたのお家へ」
スエーケンから、車で5分ほどのところに、ユトランド半島最北端の岬グレーネンがあります。
「きょうは天気が変わりやすそうだから、グレーネンへ行くなら早く出発したほうがいい」
「わかった、Mange tak (マンゲタック=ありがとう)」
最北端の岬までは、駐車場から小1時間歩くか、大型トラクターで牽引したバスのようなキャビンに揺られて10分ほどです。乗りもの好きですから、迷わず乗り込みます。
↓乗客はワクワクというより、そわそわに近い感じです。
どこかで見た車窓なのですが、思い出せません。所々に草が生えた、起伏のある荒涼とした砂地が延々と続きます。帰国して、映画「ヒットラーの忘れもの」の、あの地雷が埋まっていた海岸と地続きだったことを知りました。
時折突風が吹き荒れます。あまりの軽装備というか、Tシャツ・ジーンズで来てしまってよかったものか……と後悔。
↓パラダイス山元 ヨーロッパ大陸最北端の地へ。
トラクター+キャビンは、岬の先端にかなり近いところまで運んでくれます。目の前は、北海とバルト海の波が、互いに左右からぶつかり合うという驚くべき光景が広がっています。ヨーロッパ大陸の最北端まで来たんだという実感がこみ上げてきます。
海に向かって左が北海のスカゲラク海峡、右がバルト海のカテガット海峡。
↓私以外の人たちは、純粋な観光で来ています。
私がここに惹かれた本当の理由は、ここには“ある石”が転がっているはずだと踏んでいたからです。
この地に住む後輩サンタさんが来日した際、この岬で拾ったという石をプレゼントしてくれました。なんで、こんな石ころを? まさか“いやげ物”(みうらじゅん氏の造語)? と最初は思いましたが、いろいろな鉱物がまだらに混じった石けんのような石は、日本ではお目にかかったことがありません。
さらに、以前シュラン島の北端クロンボー城を訪れた際、付近の海岸で、餃子に似た大きさ、カタチの石を発見しました。もしかしたら、この岬へ来れば、さらに質のいい“餃子石”に出会えるかもと予想していたからです。
予想は的中、砂浜は“餃子石”だらけでした。
靴を脱ぎ、裸足になって、懸命に石を拾い始めました。
楽しい。
楽しすぎる。
ここへ来て、デザインと芸術、盆栽と芸術、餃子と芸術、実生活でいつも葛藤している問題のあれこれとはまた別次元の、地球と餃子、という問題に直面してしまいました。
↓天気は回復しましたが、風が強いです。そんな中“餃子石”を探し続けます。
自然の前では、畏敬の念を持って、謙虚になり、ただ無心で“餃子石”を見つけることに注力します。
時折、観光客が話しかけてきます。
最初のうちは
「餃子という食べものに似ている石を探しに日本から来ているんだ」
と、笑顔で受け答えしていましたが、“餃子石”の選別というプロセスにおいて、それはまったく意味のない、無駄な時間だと割り切ることにし、(反道徳的だなとも思いましたが)以降は無言、仏頂面で黙々と石を拾い続けました。
トラクターのドライバーが「あなたが最後だ。私と一緒に帰ろう」と声をかけられ(注意され)るまで8時間以上、突端の岬で夢のような時間を過ごしていました。
まだ空は明るくても深夜になってしまい、結局後輩サンタさんの家には行けず仕舞い。申し訳ない。
↓自然を甘く見てはいけません、油断禁物です。
“餃子石”に対する感情移入、選別時における一喜一憂……。
まだ不完全な“餃子石”をここに置き去りにすれば、その後、波に洗われ、すり減って、次回訪れた際に完全なものになるだろうという気持ちでリリースしたり、現状のままを空路、日本まで持ち帰って、大切なコレクションとして保存しておくべきだろうかと逡巡したり、せめぎ合いの連続でした。
他人から見て、無価値、無意味と断定されるレベルこそが、私個人にとってのステージの高い芸術といえます。
ヨーロッパ大陸先端の岬は、芸術における無から有を想像する際のサンクチュアルな領域に踏み入った、まさに境界を超えたと実感させられる場所でした。
「川から石を拾ってきてはいけません」
「石を集めるようになったら終わりだね」
「石なんか拾ってくるから尿路結石になるんだよ」
他人が、家族がどう言おうと、私は“餃子石”を拾い続けます。
私の没後、美術館で展覧会ができるくらいになるかどうかはわかりませんが、拾い続けます。
預け手荷物の許容量いっぱい、空輸します。
許容量が最大限になるダイヤモンドメンバーを継続するため、石拾いに飛行機に乗り続けます。
文/パラダイス山元(ぱらだいすやまもと)
昭和37年、北海道生まれ。1年間に1024回の搭乗記録をもつ飛行機エッセイスト、カーデザイナー、グリーンランド国際サンタクロース協会公認サンタクロース日本代表、招待制高級紳士餃子レストラン蔓餃苑のオーナー、東京パノラママンボボーイズで活躍するマンボミュージシャン。近著に「なぜデキる男とモテる女は飛行機に乗るのか?」(ダイヤモンド・ビッグ社)、「読む餃子」「パラダイス山元の飛行機の乗り方」(ともに新潮文庫刊)など。