昭和16年の開業時に建てられた駅舎は、ハーフティンバーの入り口が美しい。ちなみに2011年の水害では会津川口からここまでの区間も被災。同年12月まで代行バスでの運行となっていた。
美しい景色の路線は、自然災害とのたたかいもある意味宿命なのかもしれない。
会津宮下を出た列車は再び美しい奥会津の景色を走る。隣の会津西方をでると、只見線のハイライトである第一只見川橋梁にさしかかる。深い渓谷にかけられたアーチ橋で、只見線を代表すると行っていい鉄橋だ。
今日も山腹の撮影ポイントには10人ほどがカメラを構えている。列車も若干スピードを落としてくれているようだ。窓から流れ込む乾いた風と光が心地よい。
この鉄橋を渡ると、車窓から只見川は姿を消す。線路と川は併走しているのだが距離が離れてしまうのだ。言い換えればこの付近まで川沿いしか線路を敷ける場所がなかった、と言うことである。
沿線に集落も見えるようになり、乗客も少しずつだが増えてくる。
1両目のボックス席にいたのは、銀色の髪のおばあちゃん。入院中の夫を毎日見舞うという。よもやま話をするうちに、「こんな年になって、恥ずかしいようですけど……」と少し口ごもりながらこんな話を聞かせてくれた。
「病院に行ったらいつも主人の耳元で『愛してるわ』って言うんです。そうすると、たまにですけど『オレもだ』って返してくれるんです」
はにかみながら、少女のような表情でそう話す。何か自分にできることは、と考え写真を撮って、さしあげた。
「私、もう何年も写真撮ることなんか無かったからこんな顔してたんですね。私の顔を忘れないようこの写真は爺ちゃんにあげます」と冗談めかしつつ涙をぬぐう。
家から病院のある若松の中心部まで片道役20km。「バスだったら、とっても高くて通えません。この列車のおかげで毎日に会いに行けるんです」という。
列車が夫婦をつないでいた。
10:34分、只見線の列車は終着の会津若松に到着した。