「指宿の迎賓館」とも称される「指宿 白水館」を出た一行は、同じ指宿市内にある橋牟礼川遺跡へと向かった。この遺跡はふたつの重要な要素でしられている。

現在は、縄文土器から弥生土器に発展したというのが定説として確定している。ところが、大正時代までは「縄文土器と弥生土器はそれぞれ異なる民族が作った」という説が主流だった。大正時代の定説を覆す発見があったのが指宿の橋牟礼川遺跡だ。

「大正7年に京都大学の濱田耕作教授らの発掘調査がありました。橋牟礼川遺跡では、開聞岳の噴火による火山灰の層がありますが、火山灰の下の層からは縄文土器、上の層からは弥生土器が発掘されたのです。つまり、縄文土器の方が弥生土器よりも古いことが確定したのです」
こう解説してくれたのは、指宿市考古博物館「時遊館 COCCOはしむれ」の中摩浩太郎さんだ。

橋牟礼川遺跡はまた、平安時代の開聞岳大噴火の惨状を今日に伝える重要な遺跡としても知られている。六国史のひとつ『日本三代実録』には、雷が轟き、夜通し振動し、噴火の際の轟音や地響きが100里以上離れた場所にも届いたことが伝えられているが、平成8年、橋牟礼川遺跡の発掘調査で、この大噴火の降灰によって埋もれた集落跡が発見されたのだ。開聞岳から遺跡までの距離は約10km。火山噴火の威力を今日に伝える重要な遺跡となっている。

遺跡には、当時の住居も復元されている。中摩さんの案内で遺跡を巡った。復元住居は少しくたびれた様子で、中摩さん自身、「復元した遺跡が“遺跡化”してきています」と自嘲的に語るほど。縄文土器、弥生土器の時代区分を確定させ、さらに火山噴火の威力を伝える重要な遺跡だけに、今後も確実に遺跡のメンテナンスを続けてほしいと感じた。

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指宿市の橋牟礼川遺跡に復元された住居。貞観の大噴火以降の痕跡は発掘されないことから、当時の人々は復興をあきらめ、他の地に移転したと考えられている。

中摩さんが勤務する「COCCOはしむれ」は、館内展示も充実している。指宿温泉に訪れた際には、ぜひとも見学ルートのひとつに加えてほしいスポットだ。

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指宿市考古博物館「COCCOはしむれ」で中摩浩太郎さんに説明を受ける一行。

(薩摩半島の取材は2014年6月でした。9月の御嶽山噴火で、橋牟礼川遺跡の重要性を改めて認識させられました)。

文/藤田達生
昭和33年、愛媛県生まれ。三重大学教授。織豊期を中心に戦国時代から近世までを専門とする歴史学者。愛媛出版文化賞受賞。『天下統一』など著書多数。

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