九州と同じほどの面積で、東シナ海の南に位置する台湾は、大きな魅力を秘めた旅先だ。特に開府400年に沸く台南に注目。多様な文化を探訪する旅に出かけたい。
和風の調理法や食材は、50年間にわたる日本統治時代に定着した。明治時代に日本から製氷技術が導入され、食品の貯蔵に革命が起こり、台湾を代表するデザート・かき氷も生まれた。洋食や駅弁は大正時代に伝わり、食卓や外食の日本化は昭和に入るとさらに進んだ。台南は昔の日本に思いを馳せる味覚が楽しめる街でもある。
町中華ならぬ〝町和食〟
府前路(ふぜんろ)で営業する老舗の和風料理店『京園』は、台南の“町和食”の店として知られている。
テーブル席でオムライスや寿司弁当を楽しむ家族連れだけでなく、10年ほど前までは、カウンター席で鮨や刺身をつまみながら、台湾語と日本語を交えて談笑する年配の常連が多かった。戦中・戦後の苦労話や米軍の進駐時代の台南の様子などが聞こえてきたものだが、近頃は日本語世代の姿がめっきり減ってしまった。それでも96歳の常連客が通ってくるという。
時は過ぎ、客層は変われど、地元の魚介による鮨や刺身も、台湾人の好みにアレンジした鮭炒飯や焼きうどん、台南産の小粒の牡蠣フライなど、どれもが侮れない味だ。
「3代目の私で店もおしまいかな。今は健康のためジム代わりだと思って調理場に立っていますよ」
70歳になった主人の張峻栄さんはそう話すが、『京園』のどこか懐かしい和食は、昭和生まれなら心が熱くなる。いつまでも続けてほしい日本料理店である。
京園日本料理
住所:中西区府前路一段255号
電話:06・2132211
営業時間:11時〜14時、17時〜20時30分
定休日:月曜
味噌湯と菜粽
日本では季節の行事食として知られるちまきだが、台南では日常食のように愛され、専門店も多い。そして誰もが一家言を持っている。
そんな台南では、菜粽(ツァイツァン)(肉なしちまき)には味噌湯(ミーソートゥン)(味噌汁)が名コンビとされている。考えてみれば不思議な組み合わせだ。
西門路の沙淘宮(さとうぐう)前で商いをする『老鄭的粽子(ろうていてきそうし) 』は、菜食の店。味噌湯の具は賽の目の豆腐と油条(小麦粉を細長く揚げたもの)と小ねぎだ。主人の鄭世南さんは、「味噌湯は簡単に作れるし、肉類を使わない出汁のため、素食と相性がいい」と言う。
老鄭的粽子
住所:中西区西門路二段116巷内榕樹下
電話:06・2583211
営業時間:5時30分〜9時30分
定休日:不定
ちまきは、ピーナッツがのぞくむっちりとした見かけの三角錐。そこへ甘いとろみ醤油と刻み香菜をかけてほおばり、ほんのりと甘い味噌湯を飲むと、ピーナッツと味噌の相性がなんとよいことか。
劉家粽子
住所:中西区西門路二段439号
電話:06・2251514
営業時間:24時間営業
定休日:無休
次に友愛市場内の『郭家粽(かくけそう)』で、油条でコクを出した白味噌仕立ての味噌湯とともに菜粽を味わう。月桃の香り豊かなちまきに、ピーナッツ粉と唐辛子を効かせた甘口のとろみ醤油をかける。ちまきには五香粉が使われないので、味噌の風味を邪魔しない。
「戦後、機転の利く商売人がちまきと味噌湯を一緒に出したのでしょう。私が子どもの頃、ちまきは家庭で作り、麦湯を添えていましたね」と話すのは、台南生まれの日本語世代だ。
郭家粽
住所:中西区友愛街117号
電話:06・2213516
営業時間:6時~15時
定休日:毎月の旧暦17日
出汁と蓬莱米のおかげ
そもそも、味噌湯が台湾で日常のスープとなったのは、台湾を日本の文化に同化させようとする政策が推進された1930年代から。当時は日本語を使い、和服を着て日本人同様の生活をし、朝は味噌湯にご飯という食習慣が奨励された。1937年からは漢文が禁止となり、模範的な国語(日本語)常用家庭には味噌などの配給品にも手心が加えられた。
台北に比べ、戦後に中国からやってきた外省人の数が圧倒的に少なかったことも戦前の習慣を継続しやすかったのだろう。味噌湯は、台南の歴史が連続していることを示す、ひとつのバロメーターだ。
一般に、台湾のスープ類は肉の他に鰹節や干し蝦なども入れて出汁をとる。つまり、日本人好みのグルタミン酸やイノシン酸の旨味があり、さらに日本種の稲から改良された蓬莱米を使うことが多い。台湾料理が、日本人の口に合う秘密は、ここにもありそうだ。
●1元(NT$)は約5.2円(両替時・2023年11月20日現在)
※この記事は『サライ』本誌2024年1月号別冊付録より転載しました。
【完全保存版 別冊付録】台湾の古都「台南」を旅する