昔から在った物が無くなったり、在ると思って訪ねてみるとお目当てのお店や建物が無くなったりしていると、とても残念な気持ちになるものです。
時と場合によっては、深い喪失感に襲われることだってあるかもしれません。これは、決して大袈裟な表現ではなく、ここ数年のことを振り返ってみますと、そうしたことが随分と多くなっているような気がするのですが、如何でしょうか?
身近な出来事では、久しぶりに田舎へ帰ってみると、昔在った家や建物が無くなっていたり建て替えられたりしていて、すっかり様子が変わっていました。最も残念だったのは、よく遊びに行った幼友達の家が、跡形も無く姿を消して更地になっていたこと。
はっきりと記憶に残っていた風景が無くなったことは、まるでアルバムの写真を勝手に剥ぎ取られたかのような気持ちになってしまいました。
今や、どなたの故郷にも過疎化の波が忍び寄り、誰も住まなくなった家、売りに出された家が多くなっているのではないでしょうか? 歯抜けのように更地が目立つ町並みを見ると、ちょっと不思議なことに気づきます。どんなに寂れていようが、朽ちて傾いていようが、そこに建物があれば、かつての記憶がちゃんと蘇ってきます。
しかし、更地になっている場所では「あれ? ここ何が在ったけかなぁ?」と、しばらく考えてもなかなか記憶を呼び起こせないのです。どんな建物だったのかさえ忘れてしまっている場合も。そんな時は、記憶とはこんなにもいい加減で、曖昧なものなのかとチョッピリ情けなくなります。こう考えると、やはり昔の写真や8ミリフィルムの映像の大切さを実感いたします。
今回の懐かしき風景は、いつ迄も映像で遺したくなるような、山陰地方の小さな海辺の町の風景をご紹介します。
「至福の時」を感じる、心を惹きつけられた風景との邂逅
その理由は、よく分からないのですが “何故か、心を惹きつけられる風景”というものが在るように思います。
例えば、こんな経験をしたことはありませんか? ある目的地へ向け、前方に目を向けながらハンドルを握り車を走らせております。すると、前方の風景が急に開けて、思わず「おぉ~」とか「凄い」と声が出てしまう。スピードを落とし、おもむろに車を路肩に止め「絵になる風景だなぁ」などと呟き、カメラやスマホを取り出してシャッターを切る。しばらくそこに留まり、ぼんやりと風景を眺める……。こうした時間は、もしかすると「至福の時」と表現できるかもしれませんね。
今回は、そんな「至福の時」を提供してくれた風景との出会いを、ご紹介いたします。
京都府京都市下京区を起点とし、山口県下関市を終点とする国道9号線。島根県でも出雲市多伎町辺りから海岸が近くなり、美しい日本海を臨みながらのドライブが楽しめます。
また、平野部が少ない区間ではJR山陰本線と接近しており、ローカル列車と並走する場面も。縄を撚るように、右へ左へとJR山陰本線との交差を繰り返しながら車を走らせていると鉄旅をしているような気分をも味わえます。
そんな国道9号線を西へ西へと進み、大田市の中心地を抜け約10分ほど(距離7~8キロメートル)走った辺り。“撮り鉄”ならずとも、日本海をバックに走る列車を撮影したくなるポイントがあります。“撮り鉄”風の表現をするならば、国道9号線を江津方面へ向かって走行、JR山陰本線五十猛(いそたけ)駅の案内標識を見てから約1分ほどすると、右手に日本海の景色が広がります。国道9号線から少し俯瞰するかたちで、美しい日本海をバックに走る列車が撮影できる……はずです。
申し訳ありませんが、私は“撮り鉄”ではございません。私が惹かれたのは、国道9号線沿いにある「和田珍味本店」の駐車場から観えた風景です。
少し高台になっている駐車場からは、JR山陰本線の線路と踏切、そして小さな集落。さらにその奥には、日本海へ突き出すようにして岬があり、その突端部に白い灯台が見えます。その風景に出会ったとき、どうしても、その小さな集落の中を歩き、灯台へ行ってみたくなりました。
天候に恵まれた夕暮れ時であれば、きっと素晴らしい夕焼けが見られる……はずなのですが。
神話の伝承と景観のPR活動が、漁師町の歴史を風化から守る
あらかじめ、駐車場の使用許可を得ておきたいと和田珍味本店へ訪ねたところ、快く承諾してくださいました。また、独自に「神島・神話 灯台絶景めぐりマップ」なるものを制作されているとのことでしたので、それをいただき散策のガイドにさせてもらいました。
和田珍味の社長・和田信三さんは、海産物の加工製造・販売業を営む傍ら、10数年前から五十猛町に伝わるスサノオ伝説や、この地の景観のPR活動に取り組んでおられるとのことでした。
現地でわかったことですが、「和田珍味本店」駐車場からの景色は、国土交通省が指定する「とるぱ(写真を撮るパーキング)」に認定されているとのこと。中国地方の「とるぱ」人気投票で1位を獲得したこともある、絶景スポット。どおりで、この場所の景色に惹きつけられたわけです。
この地域は、五十猛(いそたけ)と呼ばれ、神話にまつわる地名が数多く在るとのこと。駐車場から日本海を望むと正面に、磯のような小さな島が見えます。この島は“神島”と呼ばれ、以下に紹介する神話を持っています。
神島は、『日本書紀』により日本の国造り祖であるスサノオノミコトが息子のイソタケルノミコトと共に、高天原から新羅国へ天下り、後に埴土船に乗って上陸された地と言い伝えられる。
砂浜から神島へ向かっている岩場は、神島に船を繋いだ後、スサノオノミコト一行が最終的に陸地に上がられた場所と伝えられ『神上』と呼ばれる。(説明案内から)
神島の他にも、“逢浜”と呼ばれる浜があり、スサノオノミコト、イソタケルノミコト、大屋姫、爪津姫の四神が逢った場所とされております。また、この四神が分かれたという伝説が残る“神別れ坂”という場所もあるそうです。
雄大な日本海の眺めと、旅愁を誘う灯台が「至福の時」を連れてくる
和田珍味本店の駐車場から、大崎ヶ鼻に建つ大岬灯台まで歩いてみることにしました。大岬灯台までの距離は、約1キロメートルくらい、ゆっくり、ぶらぶら歩いても15分だったでしょうか。途中、大浦港の周囲を取り巻くように建ち並ぶ住宅地の中を通り抜けました。
聞けば、人気の少ない、この小さな集落の歴史は深い。江戸時代、大浦港には幕府領年貢米の蔵宿が置かれていて、江戸・大坂廻米を積出す湊町として栄えていたそうです。江戸初期までは、石見銀山の銀の積出港でもあったとか。明治期は商港として栄えていましたが、大正年間に入ると山陰本線が開通したことで港の役割は商港から漁港へと移行。今は大田市有数の漁港だそうです。
集落内の細い道は複雑に入り組んでおり、奥へ進むと現在に至る歴史を物語るように、古いお屋敷風の家屋が見られました。
集落を抜けた高台にある正定寺の敷地からは集落全体を見渡すことができました。境内からさらに数十メートル登ると、灯台へと続く階段下へ辿り着きます。246段は、流石に老骨には堪えました。
登り切ると登りのキツさを忘れさせてくれる、青空に眩しいほどの白い灯台が出迎えてくれます。
大岬灯台は、昭和24年(1949)に設置された高さおよそ13メートルのコンクリート製。この場所に建ってから、もう70年以上が経過しているとのことでした。灯台の在る場所に立つと、不思議と旅愁のようなものを感じてしまいます。
灯台傍の小道を下ると大崎ヶ鼻の突端に立つことができます。幸いにも天気は良好、北東方向には日御碕、その右方角には国引き神話を持つ三瓶山(佐比売山)の頂上を観ることができました。期待以上の絶景に驚くとともに、山陰島根の雄大な風景を堪能させてもらいました。
帰路は、スサノオノミコトを主祭神とする韓神新羅神社(からかみしらぎじんじゃ)でお参りを済ませ、長閑な漁師町の風情を感じながら、もとの駐車場へ。
見過ごせば、立ち寄ることもなかったであろう五十猛、そんな場所にも人々は住み、永く深い歴史を積み重ねていることを実感しました。
気になる風景を目にした時、車を停め、見知らぬ町や集落に立ち寄ってみては如何でしょうか?
アクセス情報
所在地:島根県大田市五十猛町1550-1(和田珍味本店)
鉄 道:JR西日本山陰本線五十猛駅より車で約3分ほど
自動車:山陰自動車道 大田中央・三瓶山ICから国道9号線で約15分ほど
取材・動画・撮影/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)
ナレーション/敬太郎
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