文・写真/角谷剛(米国在住ライター / 海外書き人クラブ )
司馬遼太郎著のエッセイ集『余話として』に『アメリカの剣客』という短い文章がある。昭和初期に活躍した剣道家であり、フェンシング指導者でもあった森寅雄という人物の生涯を描いた作品だ。
寅雄は武芸百般に優れていた。中学時代には全国剣道大会で日本一になり、昭和9年の剣道天覧試合の東京予選では決勝リーグに進出した。従兄でもある野間恒に敗れたが、寅雄が勝ちを譲ったのではないかという噂が当時からあった。真偽のほどは知れない。
その後米国に渡ってからはフェンシングに出会い、そのわずか半年後には全米大会準優勝という信じがたい快挙を成し遂げた。その決勝戦も判定ミスで実は寅雄が勝っていたのではないかという説まである。
海を渡ったサムライの虚像
森寅雄という名前は司馬の代表作『竜馬がゆく』にも登場する。坂本龍馬の剣道修行時代、北辰一刀流の大先輩である森要蔵と試合をする場面で、要蔵が連れていた幼児の名前が寅雄である。森要蔵・寅雄親子は戊辰戦争における会津若松城の籠城戦に参加し、雷神山の戦いで共に壮烈な戦死を遂げた。大正3年生まれの同姓同名森寅雄は森要蔵の曾孫にあたる。
このいかにも武士らしい武士であった森親子とその名を継いだ寅雄に、司馬は古武士への憧憬ともとれる、限りないロマンを感じていたらしい。司馬は大正12年生まれで、寅雄とは9年しか年が離れていない。いわば同時代人といってよい。
前述『アメリカの剣客』には、米国に渡った寅雄が農夫として働きながら、棒を削った木刀で剣道を1人で稽古し、その様子をたまたま見かけた米国人にフェンシングを紹介されたと書かれている。まるで宮本武蔵の武者修行を彷彿させるようなエピソードだが、どうやらこれは事実ではないらしい。
平成3年に発行された早瀬利之著『タイガー・モリと呼ばれた男』によると、寅雄が第2次大戦前に渡米した理由は、ハワイやカリフォルニアなど日系移民が多い土地の剣道関係者から指導者として招かれたからだったらしい。寅雄は名門の南カリフォルニア大学(USC)に通っていたし、フェンシングも元々東京オリンピックの出場を見据えて研究するつもりだったと当時の日本語新聞にも紹介されている。
『アメリカの剣客』では寅雄が第2次大戦中に日系人収容所に入ったとあるが、これもまた事実ではない。寅雄は太平洋戦争が始まる3年前の1938年には日本に帰国している。米国で日系人の強制収容が始まったのは真珠湾攻撃の翌年1942年のことである。1940年に予定されていた東京オリンピックは中止となり、寅雄は日本陸軍に徴兵され満州へ送られたこともあった。戦後の1949年、寅雄は再び米国に渡った。
剣道の国際化に尽力
寅雄が移り住んだ戦後間もないロサンゼルスの日系人社会は戦争中の強制収容によって大きなダメージを負っていた。剣道そのものも日本国内ではGHQによって禁止されていた。ロサンゼルスで活動している剣道道場は1つもなく、寅雄はゼロからの再出発を余儀なくされた。
剣道の精神を世界に広めるという難事業に取り組むかたわら、寅雄はフェンシングの指導者としても名を馳せ、米国オリンピックチームのコーチも度々務めた。国際フェンシング連盟(FIE)のホームページ(https://fie.org/fie/structure/hall-of-fame )には、同連盟の殿堂入りを果たした日本人として寅雄と日本初のフェンシング銀メダリスト太田雄貴氏の2人だけが紹介されている。
やがて剣道を米国に普及させようとする寅雄らの地道な努力が実を結んできた。ロサンゼルスを始めとして米国内に数多くの剣道道場が活動を始めるようになったのだ。当時の寅雄から剣道を学んだ人たちの尊敬の念は大きく、寅雄の名を冠した剣道大会「森杯トーナメント」が現在も3年おきにロサンゼルス近辺で開催されている。
米国剣道連盟会長となった寅雄はカナダやブラジルでも剣道の指導を行い、剣道の国際化に尽力したが、念願としていた剣道世界選手権大会が実現する前年に死去した(享年54歳)。剣道道場で稽古中に起きた心筋梗塞による死だと伝えられている。
剣道はオリンピック種目になるべきか
寅雄の没後翌年、1970年に第1回大会が開催された剣道世界選手権大会はその後も発展を続け、2018年には第17回目を迎えた。3年おきの開催で、2021年大会は新型コロナウイルスの影響で初めての中止となった。
2018年大会には52の国が参加した。寅雄が目指した剣道の国際化は実現しつつあるように思える。しかし、剣道の母国日本で行われた2020東京オリンピックでも剣道は競技種目に含まれていない。
寅雄がもし生きていたら、剣道をオリンピック種目にすることを目指しただろうか。あるいはそうかもしれないし、そうでないかもしれない。オリンピックという舞台に立つことで、世界中の剣道を知らない人々にアピールできることは間違いないだろう。その反面、柔道や空手の例に見られるように、観衆に分かりやすい試合形式が求められ、本来の剣道の姿が変容してしまう懸念もある。
ロサンゼルス郊外で剣道道場『武徳殿』を主宰する有賀太郎氏(七段教士)は、「試合」のための剣道と「稽古」のための剣道を共存させたうえで、剣道のオリンピック種目化に賛成している。剣道の伝統を守りながら、その精神をもっと広く伝えていくことは可能であると考えているからだ。
森寅雄の精神を受け継ぐロサンゼルスの剣道一家
有賀氏は子どもの頃に住んでいたブラジルで剣道を始め、その後、カナダ、日本、米国で修業を積み、世界大会にも何回も出場経験がある。現役選手を引退した今も、ポルトガル代表チームのコーチを務めている。まさに寅雄が目指した国際剣道の申し子とも呼べる人物だ。森杯トーナメントでも5段以上の高段者の部で優勝経験がある。
有賀氏の子息太洋君も全米ジュニア大会で何回も優勝経験がある少年剣士だ。あるいは親子ともオリンピック代表選手になっていたかもしれない。
武徳殿にはロサンゼルスで指導していた頃の寅雄が残した手紙や当時の写真など、数多くの貴重な資料が展示されている。この記事を執筆するにあたって、有賀氏からは多大な助言を受けた。深く感謝する。
「武徳殿」(BUTOKUDEN Martial Arts Dojo)
住所:1581 Browning
Irvine CA 92606 USA
電話:+1.949.756.8880
email: team@butokuden.com
公式ホームページ: https://www.butokuden.com
文・写真/角谷剛
日本生まれ米国在住ライター。米国で高校、日本で大学を卒業し、日米両国でIT系会社員生活を25年過ごしたのちに、趣味のスポーツがこうじてコーチ業に転身。日本のメディア多数で執筆。海外書き人クラブ会員(https://www.kaigaikakibito.com/)。