フーゴの死後
フーゴの息子と孫の代になって、主君のバーベンベルク家公爵の母と弟が、リヒテンシュタイン城の隣の山にメードリング城を建設した。この城は、当時の社交の中心となり、宮廷文化が大いに栄えた。文学史でも有名な吟遊詩人フォーゲルヴァイデが、この城に招かれたという記録も残されている。このメードリング城址に足を運ぶと、フーゴ以降のバーベンベルク家とリヒテンシュタイン家の関係を感じ取ることができる。
異民族が攻めてくるパンノニア平原とこのメードリング城の間には、他でもないリヒテンシュタイン城がそびえているのだ。主君バーベンベルク家は、リヒテンシュタイン城に守られる位置を選んで城を築いたのだろう。それだけ、リヒテンシュタイン家とバーベンベルク家の信頼関係が深かったことを、その地理的関係から実感することができる。
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現在でも大きな影響力を持つリヒテンシュタイン家。その領地は中東欧一帯に及び、その財産は膨大なものと言われているが、その始祖は一世一代の出世頭だった。こうして、バーベンベルク家の時代からオーストリアを支えてきたリヒテンシュタイン家は、君主がハプスブルク家になっても良く仕え、ハプスブルク帝国の歴史を語るときに欠かせない、国を支える重臣として、歴史に名を残している。
文・写真/御影実
オーストリア・ウィーン在住フォトライター。世界45カ国を旅し、『るるぶ』『ララチッタ』(JTB出版社)、阪急交通社など、数々の旅行メディアにオーストリアの情報を提供、寄稿。海外書き人クラブ会員(https://www.kaigaikakibito.com/)。