文・写真/御影実(オーストリア在住ライター/海外書き人クラブ)

ヨーロッパ第二の長さを誇るドナウ河。ドイツの「黒い森」を源泉とし、オーストリア、スロバキア、ハンガリー、クロアチア、セルビア、ブルガリア、ルーマニア、モルドバとウクライナの10か国を通る大河です。ドナウ河はヨーロッパでもっとも重要な交易ルートであり、数知れない戦争や文化交流の舞台となりました。

「ドナウ」の名はケルト語が起源とされ、古代ローマ帝国ではダヌヴィウスと呼ばれていました。古くからアルプス産の塩の交易ルートとなり、流域はワイン産地として栄え、モーツァルトやベートーヴェンのウィーン上京時の交通ルートでもあり、ヨハン・シュトラウス二世の「美しき青きドナウ」の舞台となった、歴史的にも地理的にも、非常に重要な河です。

レオポルズベルクから見下ろしたドナウ河

現在、ウィーンには「ドナウ本流」「アルテドナウ(旧ドナウ)」「ノイエドナウ(新ドナウ)」「ドナウ運河」と、ドナウの名の付く川が四本あります。なぜ複数の「ドナウ」があるのか、ウィーンと大河の戦いの歴史から紐解いていきます。

大洪水の歴史とドナウの本来の姿

今はウィーンのそばをまっすぐ流れているドナウ河ですが、元々は激しく入り組み、蛇行していました。そのため、度重なる洪水による甚大な被害に、ウィーンの市民たちは苦しめられてきました。

入り組んだドナウ河には、主要な支流が五本あり、そのほかにも無数の小さい流れが走り、そこかしこに中洲や湿地帯が点在し、その本来の姿はまさに網の目のよう。

支流の太さや深さやその役割も、時代と共に移り変わりました。中世の頃から主に水運に使用されていたのが、最もウィーンの街から近い支流です。モーツァルトが故郷ザルツブルクから船で河を下ってウィーンにやってきた時は、この港に降り立ちました。現在はこの支流は、ドナウ本流から水門で切り離され、「ドナウ運河」と呼ばれています。

ドナウ運河を進む、ブラティスラバまでの遊覧船ツイン・シティ・ライナー

ウィーン少年合唱団の本拠地で知られるアウガルテン庭園の門には、1830年の歴史的大洪水の記録が刻まれています。現在は埋め立てられたためこの近くに川はないのですが、当時はドナウの支流が流れていて、「アウ」(氾濫原)となっていた土地でした。

ウィーン近郊の住宅地の多くと農業地帯の半分が被害にあう、大規模な洪水も何度も起き、ドナウの治水工事と洪水の防止は、ウィーンの人の悲願でもあったのです。

湿地帯の雰囲気を残している数少ない風景。左奥がアルテドナウ。手前の池はドナウパークのビオトープ

大規模治水工事とその効果

フランツ・ヨーゼフ帝の治世になり、1850年頃からドナウの治水工事が本腰を入れて計画されるようになりました。蛇行する複雑な支流を一掃して、一本の真っすぐな本流を作り、主要な支流は埋め立てるか、運河や三日月湖として切り離す、大規模な土木工事です。

この工事は、1870年から5年間かかりました。何千人もの労働者が、チェコやスロバキア、ポーランドやイタリアから安い賃金で連れてこられ、バラック小屋に住み、疫病にも悩まされました。すべて手作業だったわけではなく、蒸気動力のクレーンやショベル、土砂運搬用のベルトコンベアなどが使用されました。

この大工事の結果、ドナウ本流は26kmの区間でまっすぐ流れるようになり、元本流だった部分は、「アルテドナウ(旧ドナウ)」と名付けられ、三日月湖として切り取られます。また、ウィーン市街地に最も近い支流は「ドナウ運河」となり、水門で本流と行き来できるようになりました。更に、細い流れや湿地帯は埋め立てられ、活用できる土地となりました。

本流から切り離されたアルテドナウ(右)

ヨハン・シュトラウス作曲の「美しき青きドナウ」は、この治水工事以前の1867年に作曲されたため、その後に新しく掘られた、現在のドナウ河はまだありませんでした。彼が見ていたドナウ河は現在のものではなく、今は本流から切り離されて三日月湖となっている、元本流の「アルテドナウ」だったことになります。

現在はウォータースポーツの場として人気のアルテドナウ

こうして、蛇行して複雑に支流が入り組んでいたドナウ河は、新しくまっすぐとした流れに生まれ変わりましたが、それでも洪水を完全に防ぐことはできませんでした。

第二次治水工事の成果

大規模な工事で、川の流れを完全に変えたにもかかわらず、洪水は続きました。とくに1954年の洪水は、過去最大とされる1501年の洪水に次ぐ規模の水量で、流域は大きな被害を受け、さらなる治水工事の必要が出てきました。

過去の経験を踏まえて治水研究を経た1972年、第二次治水工事が着手されます。前回の工事で「浸水可能地域」として空き地になっていた右岸の川原を、全長21キロメートル、幅210メートル掘削し、本流に平行したもう一本の川を作りました。増水時には放水路となるこの新しい川は、ノイエドナウ(新ドナウ)と名付けられ、本流との間には長大な人工島「ドナウインゼル」が作られました。

並行して流れるドナウ本流とノイエドナウ。中央の細長い島がドナウインゼル

ノイエドナウの始まりと終わりの水門は通常時は閉まっているので、水は流れていませんが、水量が増えると水門が開き、水の通り道が二本になる仕組みです。この工事は1988年までかかりました。

ウィーン郊外にあるノイエドナウの水門。水門の前後では、水の色も異なる

このノイエドナウの容量は、通常の約7倍の水量を記録した、過去最大の1501年の洪水の量を基準に作られています。実際、2013年に通常の約6倍の水が流れた時も、ノイエドナウの水門を開放したおかげで、洪水は起きませんでした。

この治水工事区域より上流や下流では、現在でも生々しい洪水の被害が見られ、アウヴァルトと呼ばれる氾濫原の森を散策すると、2000年になってから三度も起きた大洪水で流れてきた流木や、削り取られた地形を目の当たりにすることができます。

クロスターノイブルクの氾濫原。2002年と2013年の洪水の跡が生々しい

* * *

モーツァルトやベートーヴェン、ヨハン・シュトラウスが見たドナウ河は、入り組んで時には荒れ狂う、自然のままの姿でした。滔々と流れる現在のドナウ本流と、三本の「ドナウ」の名を持つ流れは、ほんの40年前に治水が完了した、先人たちの戦いの軌跡です。ドナウの歴史に心を馳せつつ川沿いを歩いてみると、「美しき青きドナウ」と共に、治水工事の槌音が聞こえてくるようです。

文・写真/御影実
オーストリア・ウィーン在住フォトライター。世界45カ国を旅し、『るるぶ』『ララチッタ』(JTB出版社)、阪急交通社など、数々の旅行メディアにオーストリアの情報を提供、寄稿。海外書き人クラブ会員https://www.kaigaikakibito.com/)。

 

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