文・写真/ナガオヤヨイ(海外書き人クラブ/台湾在住ライター)
台湾に来て間もない頃、買い物先で言葉が通じなくて困っていたら、店員さんがスマホでグーグル翻訳の画面を出して入力し始めた。のぞいてみると、キーボードにはひらがなやカタカナのようだが判読できない不思議な文字。彼女が両親指で連打すると、みるみる漢字に変換されて中国語の一文が現れた。
中国語にはこんな文字もあったのか…人生まだまだ知らないことだらけだと思っていたが、後日、世界でも台湾だけで使われている中国語の発音記号だと知った。「注音符號(チューインフーハウ)」という。
台湾で「ボポモフォ」と呼ぼれる発音記号。ひらがなやカタカナのように漢字由来といわれる
注音符號は37字からなり、子音を表す「聲符(シャンフー)」21字と、母音を表す「韻符(インフー)」16字で構成されている。最初の4字「ㄅㄆㄇㄈ」の読みから「bopomofo(ボポモフォ)」と呼ばれる。
聲符1字と韻符1字や、聲符1字と韻符2字の組み合わせ、聲符、韻符それぞれ単体の1字などで中国語の1音節を表す。組み合わせは400ほどにものぼり、中国語の音を全て表すことができる。
ボポモフォは漢字の一部を引用して生み出されたものが多い。例えば、「ㄅㄆㄇㄈ(bopomofo)」の「ㄅ」は「包(bao)」の冠部分だ。「包」の音の一部から「bo」(日本語ではボとウの間のような音)と発音される。
ひらがなの「せ」「ち」「さ」「へ」やカタカナの「ヌ」「メ」「ム」とよく似た記号も見られるが、日本語との関連はない。ただし漢字を簡略化したり一部を引用しているという点では、ひらがなやカタカナと似ているといえるだろう。
中国語の音をくまなく表すボポモフォは、習得すれば中国語が正しく発音できるようになる。そのため台湾では小学校に入学するとまず、ボポモフォの学習からスタートする。
「ボポモフォ」の原型は清の末期に誕生した
中国語の発音記号の誕生は清の末期にさかのぼる。当時、広大な国土の各地ではそれぞれの方言が話されていたが、国が発展するには皆が理解しあえる共通の「国語」が必要だという考えが興る。その国語が普及するためには発音を標準化するべきだとして、発音記号の研究が進んだ。
国際社会で通用するようアルファベット表記なども検討されたが、採用されたのは、主に漢字の一部を記号化した「注音字母」だった。史学者や思想家でもあった章炳麟(章太炎)の原案を改良したもので、漢字に慣れ親しんでいる者には、漢字を変形した記号の方がわかりやすいという考えに基づいていた。
「注音字母」は改良を重ね、1918年に「國音字母」として正式な発音記号に制定される。1930年には現在の呼称である「注音符號」に改称され、教育現場を中心に普及していった。
台湾で発行されている「ボポモフォ」併記の小中学生向け新聞『國語日報』
戦後1947年、注音符號のさらなる普及を目指して、北京で『國語小報』が発行された。記事にボポモフォを振った初めての新聞であった。その後、政局変化を受けて新聞社は台北に移り、1948年に『國語日報』を創刊。以来現在に至るまで、ボポモフォ併記の小中学生向け新聞を発行し続けている。
発行元の國語日報社では、児童生徒向けに学習や文化、運動のさまざまな講座を開講しているが、1973年からは中国語の語学学校「國語日報語文中心華語課程」も開校している。特徴はもちろん、ボポモフォを使った教授法だ。
現在の中国語学習では、1958年に中国で制定された「漢語拼音(ハンユー・ピンイン)」というアルファベットの表音方式で学ぶのが一般的だ。ピンインは1977年に国連の地名標準化会議で採用されるなど、世界でも主流となっている。
台湾ではピンインも使われるが、小学校以来ボポモフォで教育を受けてきた人々にとって、ボポモフォは体にしみついたものだ。スマホやPCでの漢字変換に皆がボポモフォのキーボードを使う光景は、台湾ならではといえるだろう。
外国人ながらも「ボポモフォがわかる」と言えば、台湾の人たちに驚かれ、お互いの距離もグッと縮まって親しみも増すはず。がんばれば短期間で習得できるというボポモフォ、機会があればチャレンジしてみるのも悪くない。
●財団法人國語日報社 https://www.mdnkids.com/
●國語日報語文中心華語課程 https://study.mdnkids.com/CH/home/
文・写真/ナガオヤヨイ(海外書き人クラブ/台湾在住ライター)
15年間のアジア暮らしを経て、現在は台北在住。著書に「バリ島小さな村物語」「フェアトレードの時代」など。執筆、編集のほか、写真、レイアウトデザインも行う。海外書き人クラブ会員(https://www.kaigaikakibito.com/)。