■声である「音」を認識し学習する
もうひとつの疑問、「うちの子は私の言葉を理解しているのかな?」ですが、これは非常に微妙です。知り合いの編集者さん(書籍『ありがとう!わさびちゃん』シリーズを手がけた通称“オジサン編集者”)は、愛猫のことを「うちの子は私の言葉を絶対に理解している! 天才なんです!」と言って譲りません。確かに、飼い主さんの声によく反応する猫はいます。「ごはん?」と聞けば「ニャ~」と応えてくれたり、「行ってきます」と出がけに声をかけると、どこか寂しげな表情を浮かべているようにも見えます。
ただ、厳密に人間の言葉を理解しているかというと、それは明言できないものがあります。
犬の場合、飼い主さんの声のトーンや呼び方、単語をある程度聞き分けていて、例えば「サンポ」と飼い主さんが言えば、「ああ、お散歩の時間だ」とわかるようです。母音と子音などの音も聞き分けて学習し、人の発する音に対して反応していることもわかっています。
猫に関しても程度の差こそあれ、おそらく犬のように人の声のトーンや単語の響きから聞き分けをして、決まった音に関して必ずなにかが起こるのであれば(例えば、「オヤツ」という音の後、必ずおやつがもらえるなど)、音を認識して鑑別し、学習を行なっているのだと思います。
では、自分の飼っている猫ではなく、ほかの人の飼い猫や、外に暮らす猫たちはどうでしょうか。
野良猫さんを見かけると、愛猫家はつい声をかけたくなります。いつも誰かにごはんをもらっている猫は警戒せずに近づいてくるかもしれませんが、そうでない猫の場合、一瞬「ぎくっ」といった感じで警戒して固まって、声という「音」のする方向(あなたの方)を確認するかのように見ます。そして、「知らない人だ!」と思ったら逃げてしまうかもしれません。「聞きなれない音(声)」を耳にして、警戒→確認→判断(逃げるか残るか近づくかなど)という流れです。これは、猫が人の言葉を理解しているというより、人の発した声である「音」に反応しているということになりますね。
憶測の域を出ませんが、誰の声であるかとか、声のトーンや呼び方、場所、その時々の状況などによって、あるいは、そのすべての要素がそろってはじめて、人が言っていることを「判断」している可能性はあります。それは、ある程度の学習はありますが、もしかしたらあてずっぽうの部分もあるのかもしれません。「あ、この声はお父さんで、きっとごはんの時間だよって言っているんだな」といった具合です。それで嬉しそうに飼い主さんのところに行くと、飼い主さんは「おお、自分の言葉が通じた、すごい! 嬉しい!」と思うでしょうし、猫もごはんがもらえて、お互いに幸せになれるわけです。
猫は社会性のある動物であり、コミュニケーション能力をもっています。厳密な意味での言葉の理解はないまでも、飼い主さんの声とそれに対する反応が、一種のコミュニケーションになっているのです。そのコミュニケーションは決して不快なものではないため、続けているうちに猫は学習をして「人の言葉がわかっている」かのような行動をするようになります。先のオジサン編集者さんの飼い猫が天才である可能性はもちろん排除できませんが、オジサン編集者さんとのコミュニケーションを通して「判断」「学習」をした結果の行動といえるでしょう。
次回は、猫の学習能力についてお話したいと思います。
入交眞巳(いりまじり・まみ)
日本獣医畜産大学(現・日本獣医生命科学大学)卒業後、米国に学び、ジョージア大学付属獣医教育病院獣医行動科レジデント課程を修了。日本ではただひとり、アメリカ獣医行動学専門医の資格を持つ。北里大学獣医学部講師を経て、現在は日本獣医生命科学大学獣医学部で講師を勤める傍ら、同動物医療センターの行動診療科で診察をしている。
■わさびちゃんファミリー(わさびちゃんち)
カラスに襲われて瀕死の子猫「わさびちゃん」を救助した北海道在住の若い夫妻。ふたりの献身的な介護と深い愛情で次第に元気になっていったわさびちゃんの姿は、ネット界で話題に。その後、突然その短い生涯を終えた子猫わさびちゃんの感動の実話をつづった『ありがとう!わさびちゃん』(小学館刊)と、わさびちゃん亡き後、夫妻が保護した子猫の「一味ちゃん」の物語『わさびちゃんちの一味ちゃん』(小学館刊)は、日本中の愛猫家の心を震わせ、これまでにも多くの不幸な猫の保護活動に大きく貢献している。
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