■妻に迷惑を掛けたくなかった
彼は持病によって身体の自由が利かなくなっていた。にもかかわらず、それでも無理を押して、自宅の寝室や仏間に灯油をまき、火を放ったのである。大きな炎に囲まれ、あまりの熱さに耐えられなくなりそうだった。煙を吸って意識がもうろうとしてきたので、意識を失えば静かに死ねるかもしれないと。
自分はおそらく死ぬまで、自宅から離れられず、死ぬまで妻の介護を受け続けなければならない。その終結の時期を早めようとしただけだ。そのほうが、妻は自由に生きられると信じていた。
一方的に世話をされるだけで、自分は何も返してやれない。その申し訳なさが、日々積み重なり、じわじわと自尊心がむしばまれていく。これ以上、妻に迷惑を掛けるわけにはいかないと、男は覚悟を決めたのである。
■半世紀を超える「仕事人間」としてのプライド
男は、若い頃から仕事に誇りを持ち、若い頃から働き続けていた。中学校を卒業して、すぐに就職し、仕事にも慣れた頃、キャリアアップを図るために不動産販売会社へ転職し、さらに働き詰めとなった。
高度経済成長期とバブル景気に乗って、とにかく土地や建物が売れに売れた時代である。一生懸命に働くほど、収入が増えていくことに喜びと面白さを感じていた。
バブル崩壊の頃に、ちょうど定年を迎えたが、不動産の仕事に思い入れと慣れがあったため、定年後もなお、嘱託職員などとして働き続けたのである。
ただ、70歳に差しかかろうとする頃に心臓病を患ったため、ついに仕事漬けの人生に別れを告げて、自宅を療養せざるをえなくなった。
■そして、裁判へ……
妻はずっと、看病をしたり、身の回りの世話をしたり、かいがいしく日々の暮らしに尽くしていた。しかし、ただただ妻の世話になり続ける自身の立場が、「男は稼いできてナンボ」という価値観で生きていた夫の胸を激しく締め付けていたのである。
放火の容疑者として警察官は、男を逮捕した。その取調べに対し、男は容疑をすべて素直に認めた。
そして検察官は、男を現住建造物等放火の罪で、裁判所に起訴した。
自分をひたすら介護し続ける生活から妻を解放してあげようとして、自宅に火を放った男の罪を問う裁判が、いよいよ始まろうとしていた。
【後編に続きます】
取材・文/長嶺超輝(ながみね・まさき)
フリーランスライター、出版コンサルタント。1975年、長崎生まれ。九州大学法学部卒。大学時代の恩師に勧められて弁護士を目指すも、司法試験に7年連続で不合格を喫し、断念して上京。30万部超のベストセラーとなった『裁判官の爆笑お言葉集』(幻冬舎新書)の刊行をきっかけに、記事連載や原稿の法律監修など、ライターとしての活動を本格的に行うようになる。裁判の傍聴取材は過去に3000件以上。一方で、全国で本を出したいと望む方々を、出版社の編集者と繋げる出版支援活動を精力的に続けている。