いじめから人の顔色を伺う付き合いをしてしまうように。唯一本音でぶつかれる家族にわがままを言い続けた
高校では友人に恵まれますが、友人の顔色を伺うような付き合いになってしまったそう。そして外で発散できない気持ちを家族にぶつけてしまったと言います。
「前日まで一緒に笑っていた友人たちからいきなり無視されたせいなのか、高校では嫌われないように相手に合わせるようになりました。中学の時もそこまで率先して自分の意見を言うタイプじゃなかったのに、より内向的になってしまって。
そして、その外で抑制されている気持ちが家族へのわがままに変わり、さらに反抗期も重なって、母親には暴言を吐き続けてしまっていました。あんまりよく覚えていないんですが、学校の様子など何かを聞かれた時に『うるさい』とか言っていた気がします。その時には兄妹も一緒に遊ぶことはなくなっていたので、兄や妹が当時何をしていたのかはまったく覚えていないですね」
高校を卒業した加奈子さんは京都で織物などを扱うデザイン会社に就職。親元を離れて一人暮らしを始めますが、当初京都での生活は孤独との戦いだったそうです。
「就職が決まっていたので、地元を離れることを両親ともに反対はしませんでした。あんなに懐いていた妹も、当時は同部屋だったので一人部屋を持てると喜んでいましたね(苦笑)。
島根から京都までは車で4~5時間ほどだったので、引越しは父親がトラックを借りてくれて、両親と兄が手伝ってくれました。引越しを終わって家族が帰る時に内緒でと母親が10万円が包まれた封筒を渡してくれました。『最初は色々お金が必要だと思うから』と。今思うときっと母親がパートで貯めたへそくりだった気がします。高校卒業時には反抗期は落ち着いていましたが、暴言を吐き続けたのにと申しわけない気持ちでいっぱいになりましたね。
地元を離れることを決めたのは自分です。高校では自分を出せなかったから心機一転、自分のことを誰も知らないところで生活をスタートしてみたかったんです。でも、京都での新生活は孤独しかありませんでした。会社でも仲の良い子なんてできなかったし、家に帰っても誰とも話さないし。あまりの辛さから仕事に行かなくなり、3か月ほどで辞めてしまったんです。そのことを両親に隠すために、夜の仕事を始めました」
就職先を辞めて、親に嘘をつき続けるために、お金のために始めた夜の仕事。しかしそのことが両親にバレたことで両親と揉めてしまい、その後15年間疎遠になります。
【~その2~に続きます。】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。