人手不足が叫ばれて久しい。そこで、一度、退職した社員を再雇用する「アルムナイ制度」が注目されている。「アルムナイ」とは英語で「卒業生」のことだが、人事では「元社員」という意味で使われる。自社の文化や理念を理解した人材を採用することは、メリットが多いとされ、多くの上場企業でもアルムナイ制度の導入が進んでいる。

芳雄さん(64歳)は「定年直前の59歳のときにアルムナイ採用をされて、4年間働きましたが去年、辞めました」と語る。63歳での退職理由は、帯状疱疹を発症したことだった。

父親は常に会社員に憧れていた

芳雄さんは高卒で、ある大企業に入社した。

「ウチの工場を中心とした街が、全国各地にあるような社員数万人の企業です。入社が内定したときに、親父は大喜び。“これでお前の一生は安泰だ”と涙を流していました」

そこまで父親が喜んだのは、自営業で苦労したことがあったからだ。

「うちは明治時代創業の油問屋で、長男の父は4代目でした。ただ、金のことではずっと苦労していた。問屋は人手がいるのに儲けが薄い。他人様の商品代金を立て替えて、後で回収に行くというのが商売ですから、少ない利益の中に不渡を出すこともありました」

問屋はかつて日本の物流を担っていた。商品を製造するメーカーから直接小売店に届けるには、品物の受発注管理、在庫管理、配達など膨大な手間がかかる。問屋が介在することにより、その地域の小売店に適量をベストな時期に適切に届けることができる。

「早朝から深夜まで休みなく仕事をして、絶対に間違ってはいけないという緊張感の中で人を雇って給料を払い、自分のところの帳簿管理もするという仕事だったようです」

芳雄さんの祖父は、この仕事はいつまでも続けられないと判断する。東京オリンピックの1964(昭和39)年の翌年、ガソリンスタンドに業態変更する。

「ほぼ家族経営の油問屋ですから、ガソリンスタンドを立ち上げるのは大変だったみたいです。実働部隊の陣頭指揮を取ったのは父だったようです。父は奔走し、なんとか設立にこぎつけた。ガソリンスタンドの建物は、驚くほどの設備投資が必要だったようです。地下に石油タンクを設置し、高い防火性を確保する建物を建てるのですから」

祖父の読みは当たり、1966(昭和41)年ごろから、マイカー時代が到来する。大手自動車メーカーから、大衆車が販売され、「自家用車に乗ってレジャーに行く」という時代がやってきた。

「実際に儲かったかどうかはわかりません。私は昭和35(1960)年生まれなのですが、その頃の父はいつも眉間に皺を寄せて帳簿と睨めっこしていました。私と弟には常に“勤め人になれ”と言っていました。父は“出社するだけで金がもらえる”と思っており、憧れていたみたいです」

勉強は得意であり好きだった。だから、進学した県立高校でトップの成績を取り、巨大企業に高卒で採用されたのだ。親に子供を進学させるだけのお金がないことはなんとなくわかっており、大学に行きたいとは言い出せなかった。

【何もしなくても給料がもらえるわけもなく……次のページに続きます】

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